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1998年12月25日 金曜日カシミヤの手帳 昨日、マンハッタン109丁目一帯では、ウォーター・メイン(主水道管)が爆発し、住民の多くが水無しの一夜を過ごさざるを得なかった、とNY1ニュースにあった。 爆発したのは、直径30cmの主水道管で、109丁目の一部が水浸しになり、109丁目の、アムステルダム・アベニューとコロンバス・アベニューの間にある25の住居ビルは翌早朝まで水の供給が途絶えたとのこと。 この地域は前に住んでいたことのあるでひとごとは思えなかった。 今朝の、フジサンケイTVの日本語ニュースでは、クリスマス商戦について、いろいろな店の売筋商品の紹介が行なわれていた。 デパートでは、カシミヤ製品が良く売れているそうで、カシミヤのセーター、カシミヤの手帳、カシミヤのスカーフなどが良く出ている、とアナウンサーのナレーション。 「???」。テープを戻して聞き直してみた(早朝のニュース番組なので録画しておいて後で見た)。何回聞いても、カシミヤの手帳、と言っている。そんなもの見たことない。良く売れてるそうだが、、、 "手袋"の原稿読み間違え? 1998年12月24日 木曜日ホワイト・クリスマス クリスマス・イヴの今日は、休暇を取っている社員も多いし、マーケットも早仕舞いだ。会社も3:30で早締め。 わたしも、4時過ぎには離社。この時間だと外はまだ薄明るい。雪の残る街並みを見物しながらぶらぶらと歩いていると、駐車禁止の一斉取り締まりが行われている。 レッカー車で移動される車を何台も目撃。E会計事務所の入っているエクイタブル・ビルの脇でもレッカー移動中。仕事を終えて帰省しようと思ったら車が無くなっているという哀れな会計士が数人誕生した瞬間に違いない。 1998年12月23日 水曜日また回線切断? 会社に到着し、メール・チェックをすると、東京から何も届いていない。また、回線切断か、と、EDP関係者に確認すると「きのう東京が休みだから・・・」とのお答え。 日本に住んでない間に出来た祭日はどうも馴染みが薄く忘れてしまう。 1998年12月22日 火曜日寒い暖冬 1998年12月21日 月曜日No problem 今日から会社の e-mailが復活した。先週から切れていた専用回線がようやく安定接続となったのだ。 以前から時々不通になった専用回線だが、4営業日も切れたままというのはめったにない。こういう時、こちらの業者は「No Problem」と言う。 これは、日本語に訳せない言葉のひとつで、慣れない日本人は「問題が無い、とは何事だ」と、むっとしたりすることもある。しかし、無理矢理、置き換えてみるとこの場合は「大丈夫」といった様な意味で、「わかりました」と同義語と解釈して良い。 回線が復旧して、サーバー溜まっていたメールがどんどん配信されたが、中に混じっていたのが、「回線不調につき、e-mailは使わないで、公衆回線を用いたファクスで連絡するように」という e-mailもあった。 一体このメールの意味って? 発信者に質問したとしたら、No Problem と答えるのだろう。 |
1998年12月20日 日曜日パワー・スーツ 3年くらい前に日本に転勤になった友人からメールが来た。日本で初めてスーツを作ったそうだ。 彼は、シェイプアップに努めた結果、6〜7キロ痩せたので手持ちのスーツが体に合わなくなったそうだ。だから、これは、スーツを作った報告というより、遠まわしに、痩せた喜びを伝えたかった様だ。わたしの場合、体形が変わったことによりスーツを作った事はない。定期的に作りはするが、それは、スーツ自体の消耗による代替を目的とした補充に他ならない。 そういえば冬物のスーツは2年くらい作っていない。夏物は、昨年、日本の暑さに耐え切れず、トロピカルで背抜きのものをひとつ作った。 日本では数寄屋橋にある某テイラーと決めている。NYではチャイナタウンにある某テイラーで作っているが、なんでもおおざっぱな米国において、テイラーだけは、こちらの方が丁寧だ。 日本に比べ、こちらはかなり服装に気を使う様だ。服や小物がステータス・シンボルとリンクしている。 会計事務所、弁護士、銀行あたりが3大外観はったり業界でないかとわたしは思っている。 特に会計事務所のパートナー達の服に対する気のくばりようといったらこっけいとも思えるほどだ。「サラダは絶対たべないんだ。ドレッシングがネクタイに飛んでネクタイを駄目にするからね。」 などという会話がパワーランチ等の時に交わされる。わたしの場合、そこまで厳格な食事制限はしない。トマトソース・ベースのスパゲティ類を食べない様にしている程度だ。 そもそも、わたしは、服に興味がなく、パワー・スーツだって、着替えるのもめんどうなのでパワーの象徴という意味を失っているだろう。わたしにとり、スーツは会社で着る作業着なのだ。 1998年12月18日 金曜日アリとキリギリス−快楽の求め方 快楽を追求するには、ふたつのタイプがある。ひとつは、今、快楽にひたりたいタイプ。そして、もうひとつは、将来の快楽に幸せな平和を求めるタイプだ。 わたしは、完璧に後者で、例えば、掃除が好きというのは、分析すれば、掃除という行為が好きなのではなくて、掃除されたきれいな家という心地よい空間に身をおく「将来」を追求しているのだ。あるいは、季節の変わり目、終わった季節の服はクリーニングに出してからしまう。来シーズンにきれいな状態ですぐに使えるように、将来の為の準備だ。ところが、世の中には、わたしと同じタイプの人は少ない様だ。「寒くなったので、冬物をクリーニングに出さなくちゃ」という人が多い。去年の汚れを今年まで持ち越しているのだ。 掃除も「今」はしたくないので、うんとためてからやる。とりあえず、明日のことは考えないで、今現在の快楽を追求するのだそうだ。 明日がどうなるかも分からない時代、こういった、現在快楽享受型の方が、健全な発想なのかもしれない。いくら、明日の為に今努力をしても、今晩地球が無くなってしまえば、最後の想い出は努力であり快楽ではない。しかし、今を楽しく過ごしたいタイプの場合、最後の想い出は快楽であり、その方が楽しく死んでいけるのでは、というのが快楽先取派の主張だ。 要は、アリとキリギリスの話だが、時代の変化によりどちらが得策かというのは変化してきており、キリギリスの方が賢い時代なのかもしれない。アリは夏の間せっせと餌を保存していました。キリギリスは夏に遊んでばかりいました。やがて冬がやってきました。地球の天候変化により冬になっても食料は豊富で、キリギリスは踊りながら豊富な食料に舌鼓をうっています、なんてイソップは書くのでしょうか。しかし、アリが不利になる時代も来るのだろうか。 1998年12月17日 木曜日Operation Desert Fox 昨日の米国東部時間17:00頃、米国はイラク空爆 "を英軍とともに実施した。 米国は、UN査察チームに対して協力的でないイラクに武力制裁の警告を出していたが、一基2百万ドル(約2億40百万円)の巡航ミサイル「トマホーク」を昨日だけで200発使用し、ミサイル代金だけで4億ドル(480億円)の費用をかけて、警告を実行にうつしたということだ。 しかし、日ごろ軍隊に特に重きをおかないクリントンが今回の行動に踏み切ったのは、もちろん本日予定されていた大統領弾劾訴追と関係付けられてもしかたのないことだ。 現実は映画(ワグ・ザ・ドッグ)より過激だ。1998年12月16日 水曜日AT&T は早速・・・ 12月8日に IBM Global Network買収を発表した AT&Tだが、昨日は、早速、従来の 接続プランのリニューアルのアナウンスがあった。 今年の春に設定した悪名高い 150時間シーリングを廃止し、WEB HOSTINGは、従来のワンアカウント5MBだったのを、一気に30MBにし、2ドル値上げしたプランを発表。 150時間のシーリング付のは5ドル程度値下げをした様子だが、解説ページが重くてなかなかリンクが開かず全貌はまだ分かっていない。 既存ユーザ(わたしの事)にとり、何より腹立たしいのは、FTPサーバーが昨日から接続不可能な状態になっているということだ。システム状況についてのページを見たくても重くてそのページに到達できない。 きのうのアップロードはいつものFTPではなく、ブラウザから2〜3分かけて行ったのだ。それも、1ファイルだけで、2ファイル目からは繋がらなくなった。 拡大も良いが、状況予測をしたうえでのサーバーのパフォーマンス管理を行って欲しいものだ。昨日の夜から、会社のネットワーク(NY-NJ-Tokyo の専用回線)も回線が切れ、なんとなく通信不足・不満の一日であり、自分の通信依存症を再確認したのであった。 1998年12月15日 火曜日虚の美−ふたご座流星群 12月14日、小惑星パトエンを母天体とするふたご座流星群の観測が期待されたが、残念ながらNYも東京地方は曇りで流星の観測は叶わなかった。夜空を横切る流星は、実にロマンティックだ。流れ星に願いをかけて・・・などという発想が生まれるのもその神秘的とさえいえる美しさにあるのだろう。 しかし、その実体はゴミ以外のなにものでもない。彗星(や惑星)から落ちたゴミは直径1センチにも満たないが、それが、大気圏にはいると激しく大気と衝突するのでプラズマ化し、その光が人類の目には美しくうつるのだ。 ゴミも、みる角度をかえると、流星と呼ばれ、美しきものとして珍重されるという訳だ。従い、流星は、虚の美に他ならないのだ。 |
1998年12月14日 月曜日肋骨が折れる時 会社のBさんは、フルマラソンも走るアスリートだ。会社に来る服装をしていてもいかにもランナーという雰囲気があり見るからに健康的だ。そんな彼女がここ一ヶ月ほど健康状態がわるいという。 風邪をこじらしたのか、やたら咳こんでいた。そのうち脇腹が痛むようにもなり、何人かの医者を尋ねたが特に異常はないとのことだった。医者にも分からない原因で具合が悪いという事に彼女の不安は徐々に膨らんできていた。そうして、何人目かの医者でようやく納得できる事情が解明したのだが、それは、ちょっと意外な原因による症状だったのだ。咳が出るのは肺炎になりかかりとのことでそれなりの薬を処方された。脇腹の痛みは、なんと肋骨にヒビが入っているからだったのだ。 ヒビの原因は咳のし過ぎとのこと。しかし、ふつう、いくら咳をしても肋骨にヒビは入らないだろう。実は殴り合いの喧嘩でもしたのではないかと勘ぐりたくなるが、原因は、彼女の鍛えた体にあったのだ。ランナーとしてトレーニングを欠かさなかった彼女の肺活量はふつうの人の1.5倍はあるとの事で、すると咳も大変ダイナミックなものとなり、その咳が肋骨に与えるインパクトに肋骨は耐え切れなかったということだ。 実は、前にも原因が分からず肋骨が折れた(!)事があったそうだが、その時もひどい咳をしていたとのことで、今になり納得ということだ。 笑うに笑えない出来事であったが、やはり、話を聞いたわたしも、話した本人も可笑しく、笑ってしまった。本人は笑うと肋骨が痛いそうだが、でも笑いを押さえ切れず痛みをこらえて話してくれたのでした。 1998年12月12日 土曜日低温やけど 久しぶりにモバイルを長時間使った。新しい ISPのテストをちょっとだけ、と思っていたのだが、回線が結構早くてさくさくと快適だったので思いのほか長時間の接続でネット検索、チャットなどしていたのがいけなかった。 上はタンクトップ、下はショーツといったいつもの服装で、カウチに座り、ビデオを観ながらの接続だ。 わたしのモバイルは今は東芝ダイナブック一台のみで、こいつがサテライト(東芝フルサイズ・ノート)同様すさまじい発熱体なのだ。 寒い夜などに膝にのせておくのには可愛い奴なのだけれど、素肌には熱い。長時間膝上使用の時は脚の上にタオルなどをのせるというのが決まったポジションだが、今日はちょっとのつもりだったので直(じか)だ。 途中から熱くなってきたので、ソファのクッションを脚とダイナブックの間に入れたが、その時はすでに手後れだったのだ。 後で気づいたのだが、左の腿にサイズ5センチ×10センチくらいの低温火傷の跡らしきものがくっきりとついていた。 軽症らしくて痛みは無かったのは幸いであった。1998年12月10日 木曜日AT&TとIBM 最近大型買収が多いが、今度は、AT&T が IBM Global Networkを50億ドルで買収。 8日に発表になったこの買収により、AT&Tは一年間で最大25億ドルの収入増が有り得るとのこと。IBM Global Networkはそもそもは、IBMが自社の社内通信網として用いていたものを一般に開放したのが始まりといわれているが、現在世界59ヶ国に百万人のユーザを持つという。 わたしもそのひとりであったが、接続料金が固定制ではなく従量制であるため、いざという時用のバックアップとして確保していただけで、ほとんど使用はしておらず、普段は AT&T World Networkを愛用しているのだ。 ほかにも契約している ISP(Internet Service Provider)はあるが、この2つが一番長いのだ。そんな訳で、今度の合併の発表を見た時はなんだか「あれっ」な感じであったのだ。1998年12月 9日 水曜日初体験はひどく痛かった 朝食を食べ終わったころから、歯が痛み出した。じんじんじん…。実は、歯が痛いというのは生まれて始めての体験なのだ。過去に虫歯経験はあることはあるが、痛みを伴った歯のトラブルは未経験だったのだ。これが、皆が言う、「歯が痛い」というものなのか、とクールに観察していたのも束の間、喉も痛くなってくる。そのうち、視力にも影響がでてきてよく見えなくなってきた。もう、顔全てが痛い。クスリを飲んで痛みをとめてランチ。 午後、しばらくすると、極めて不快な類の継続した鈍痛が脚にまで拡がり、我慢の限界。歯科医に電話。緊急を告げて夕方のアポイントメントをとる。一方でバファリンを2粒追加、痛みは止まったが、クスリのせいで頭がふらつく。 朦朧としてきて、目の前の書類の上で文字や数字が無意味にひらひらしている(ほんとうは夕方までに内容をまとめて東京に e-mailしなければいけないのだ)。 舌先で触れてみると、奥歯のあたりの歯茎がぷっくりとふくらんでいるではないか。これは、きっと歯がくさってしまっていて、全ての歯を抜かねばならず、歯無しになってしまうのにちがいない。義歯もつくれず、これからの余生はふがふが状態なのだ、と、例によって、想像の世界に入り込んでしまうわたし。夕方、歯科医へ。日本のシンドラー(当時のリトアニア日本領事館副領事杉原千畝(ちうね))に助けられたユダヤ人を父親に持ち、17歳まで神戸で育ったこの先生は、客が1年半ぶりに戻ってきたので大喜び。さて、レントゲンを撮った結果は、1年半前のレントゲンと殆ど変化はなく、重症ではない。痛みと腫れの原因は菌が入ってしまったからに違いない、との診断。疲れている時には起きる事のある症状とのこと。 抗生物質を5日間服用するように、と処方箋をくれる。 帰宅途中のドラッグストアで薬をうけとり帰宅。痛止めのバッファリンを一錠追加。抗生物質+バファリン+アレルギー用の抗ヒスタミン剤で何がなんだかわからなくなり21:30にはベッドへワープした。 |
1998年12月 8日 火曜日ジョンの魂 今から18年前、1980年12月8日、NYC西72丁目1番地にある自宅、 ダコタ・アパートの前で、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。22:50、レコーディングを終えて帰宅するところだった。即死状態だったと伝えられています。奇しくも、同じ12月8日、ただし、更に39年前の1941年には、日本軍による真珠湾攻撃により大東亜戦争が始まりました。 ジョンの魂、そして、ジョンが何より望んだ人類の平和のために黙祷。 1998年12月 7日 月曜日記憶 週末は常に充分な長さが無い。今回も、勿論その例外ではなく、あっという間に月曜日がやってきてしまった。出社したら、ある社員にPCについての質問をうけた。金曜日の夜、パーティー席上で話題になった内容で、その社員もその席にいたのに、本人は記憶にないとの事。 よく、「酒の席だったので覚えてない」とかいうのを聞くが、あれは本当らしい。でも、いかにも酩酊という状態の人が「覚えてない」というのは分かるが、その人は顔色ひとつかえず、足取りはもちろんしっかりしてるし、口調もいつもとおなじだった。 それでも、実体は酔っ払っていたらしい。何しろ、その時の会話は後にはさっぱり記憶にないとのことなのだから、記憶装置に書込まれなかったのか、書込まれたが、アルコールにより書込まれたデータがワイプされてしまったのかのどちらかだったのであろう。 記憶といえば、わたしは記憶マネジメントが下手で、いったん見聞きしたり読んだりした事は、ずっと記憶にのこってしまう。ところが、記憶整理を頻繁に行う人たちは、たいてい数ヶ月で記憶の削除を行うらしくて、出来事や会話についても一定期間を経過したものはさっさと脳内ディスクから削除してしまい、「憶えてない」とけろりとしてる。 アーカイヴに格納する人もいる様だ。さっぱりデリートという人は頭痛も起きないそうで、うらやましいかぎりだ。 そういう人の場合、PCのハードディスクもさぞやさっぱりしてるだろうと思ったら、やはり、どんどん削除しちゃうそうだ。わたしのディスクときたらバックアップ、セカンド・バックアップ、セカンド・バックアップ1、エトセトラでファイルだらけだ。ログの類だけは整理してDドライブ(増設した内蔵HDD)に格納しているが、作業中のファイルについては増殖スピードに整理が追いつかない。 そして、そのファイルの格納場所を記憶するので脳内記憶装置はますます頭痛の種が増えるということだ。 1998年12月 4日 金曜日Year-End Partyで 酒が飲めなくて、且、人込みが苦手で、更に、人見知りもするというわたしにとり、パーティーや忘年会の類は出来るだけ避けたいアクティビティーのひつなのだ。 しかし、今日は、会社の忘年会(Year-End Party)。よほどの事情がない限り欠席するわけにもいかない。しかし、めったにそういう席にいかないものだから、わたしにとりめずらしい光景が多く、ヒューマン・ウォッチングを楽しんだのだった。まず、「写真撮っておやぢ」:カメラ持参の社員が沢山居て記念撮影などしているのだが、このおやぢは自分ではカメラを準備してなかったらしい。それで、手近のテーブルの上においてあったカメラを見つけると、近くに居た若手社員を呼びつけ、そのカメラで自分を撮影するように、という。 誰のカメラかも全然わからないのだが、両手に花状態の自分の姿を記念に残したい本能なのだったのだろうか。尚、そのカメラの持ち主はわたしの横にすわっていたのだが、「あっ、あれ、わたしのカメラ・・・・」と小さく呟いた。撮影終了後は、「●◆さんにはカメラは見せられない」とカメラをしまったのは言うまでもない。 その2.「ホストおやぢ」:ピッタリした黒のハイネックがとても似合い、やわらかい物腰での酒のサービス、物まねなど、昼間の姿とは別人になる。 その3.「バック転おやぢ」:耳年増をセールスポイントにしているこのおやぢは、バック転ができるとのこと。皆のリクエストに応えて試みたのは良いが、重々しいどっすん、が響き渡りました。体内アルコール濃度が高すぎて、運動神経が鈍ったか、それとも、中年太りでカラダが物理的に重量増となったのか。 その4.「ダンサーおやぢ」:彼は、業務中でも明るい性格で誰にでも好かれるのだが、ダンスの上手さはピカ一。身がかるくて、まるで体重が無いみたい。 そして、さいごに「不変おやぢ」:昼間の社内と全く変わらないしかめっつらで寄ってきて仕事の話をする。 きっと、どのおやぢも、どこにでも居るタイプなのでしょうが、わたしにはめずらしかったのでした。 最後までいたら、もっと面白い光景にも出会えたのかもしれませんが、人口密度とノイズレベルの高さに疲れてきて、10時前にまだ途中だったけれど密かに抜け出して帰宅、これを書いている。彼らにの立場からみれば、わたしはネット・ヲタクで不可解な存在なのだろう。 1998年12月 2日 水曜日22メートルの木 定時で退社。会社を一歩出たら、人がやたら多い。 そうだ、今日はツリーの点灯式だった。 毎年、ロッカフェラー・センターには巨大なモミの木が設置され、そのイルミネーションの点灯式は名物となっている。 今年は、オハイオから切り出してきた22メートルのえぞマツの木に3週間かけて2万6千個の豆電球がつけられ、ヒラリー・ロドハム・クリントンが点灯スイッチをオン。 式は7時から行われるが、その見物客は5時前から集まりはじめ、職場も自宅もその近くである私はヒトによる歩道渋滞の影響をもろに受けるということだ。それにしても、世の中には、混雑が平気な人が多い。何しろ、混んでいると分かっていて混雑の方向に向かうのだから。 人混みが苦手な私は、比較的ヒトの少ないストリートを選び、なんとか自宅に到着した。 |
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