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  D I A R Y  


1998年12月31日 木曜日

New Year's Eve

米国では、年末・年始の位置づけは日本のような厳かさが伴う事はまったく無く、年が変わる 31日の夜中に大騒ぎをする。 ニューヨーク市の場合、タイムズ・スクゥエアのカウントダウンが有名で、夕方から沢山の人が集まり始め、ブロードウェイは15ブロックほど人で埋め尽くされる。わたしの様なミッド・タウン、ウエストサイドの住人は早いところ帰宅してしまううか、兎に角西側には辿り着いていないと人の波に飲まれてしまう悲劇に遭遇してしまう。

カウント・ダウンは、ビルの屋上にしつらえたポールを、ハロゲンランプなどのラインストーンで飾った"ボール"が来る年に向けてゆっくり落ちてくるというショウ。 今年の 31日の23:59にスイッチを押したのは、ジュリアーニ市長と体操選手 Sang Lan(競技中の事故で下半身麻痺になってしまった)。集まった 500,000人の観衆がカウントダウンに参加した。 ボールがポールの下にある「1999」に到達した瞬間、花火がいくつも打ち上げられ、観衆は confetiを撒いて大騒ぎ。ずっと暖かかったのに、昨日くらいから寒くなり、気温は零下10℃のなか、今年はいつもより遥かに多数である5千人の警察官が出動したと報道されている。

タイムズ・スクゥエアはわたしの住居から近く、ボール自体は他のビルの影になり見えないが、群集の歓声はリアルタイムで聞こえてくるし、花火は窓から見えるので、家に居ながらにしてイベント体験的な新年を迎えた。

今年は、日本国の金融システム崩壊を含み、公私共にいろいろな出来事があったが、こうして快適な家の中に居て健康に年を越せるのはありがたい事である。



1998年12月30日 水曜日

ニューヨーク市の年末事情

日本の様に今週そうそうから仕事納めとするような習慣はなく、会社自体が休みなのは元旦だけだが、先週のクリスマスの延長の様な感じで休暇をとる人は多く、出勤時の通行人は少ない。 また、電車通勤している人の話しによると電車はがらがらだそうだ。 ところが、ランチ・タイムや帰りは舗道が日本の満員電車状態に近づき、同じ場所に歩いて行くのにもいつもの何倍もの時間を要する、住人にとっては嫌な季節なのだ。 それらの人々は人目でわかる観光客。服装が派手、体のサイズが大きい、歩くスピードがのんびりモード、何人んもかたまってあるく(つまり通行の邪魔)、などが共通項だ。 でも、そういうお上りさん達が落としていくお金はNYの収入源のひとつなのだから仕方ない。 I Love NY.

夜、ヘアカット。いつものヘアスタイリストのKさんは、友人達にナイヤガラ日帰りドライブをしようかと誘われているとのこと。 NYからナイヤガラまでは結構遠く、車で往復する日帰りはかなりハード。24時間は要する過激なスケジュールになるだろうし、また、道路は凍っているだろうから、徹夜ドライブは感心しないな、と思った。 本人もそう思っている様だが、次回ヘアカットの時に顛末を聞くことになる。



1998年12月29日 火曜日

ソーラー・ヒーティング・システムを諦めた日

今年は暖房はソーラーで、と思っていたのだが、諸般の事情で敢え無く挫折。今日、スティーム式ヒーティングを「オン」にした。

今冬は、今まで太陽熱暖房のみで過ごしていて、それなりにぽかぽかと温い日々だったのだけど、このナチュラル・ソーラー・ヒーティング・システムには欠点があった。 それは、温熱の備蓄ができないという点であり、つまり、ここ数日の如き曇天の日々が続くと、部屋はかなり冷え込んでしまうという致命的なものだ。この暖房システムは別の表現をすれば、南向きのアパートの大きな窓から差し込む太陽光線で昼間室温が28℃くらいにまで上昇するナチュラル・ソーラー暖房である。 更なる暖房は不要だと信じていたのだが、晴天でない日が続くと熱源を失うため、室温は20℃くらいにまで下がってしまい、寒さに耐えかねてスティーム・ヒーターを「オン」にしたという次第。

今まで、暖房を「オン」にしなかった理由というのは、暖房は「オン」か「オフ」しか無く、マンハッタンのアパートの暖房は「オン」にすると暑すぎることが殆どで、窓を開けたり、冷房をつけたりして温度調節せねばならないので、「オフ」のままとして、太陽の自然な熱で暮らしていたという訳です。でも、そういう冬に限って曇りや雨の日が多いのだ(普段は晴天続きのNYの冬なのに)。 そういう訳で、部屋には暖かみが戻ってきて、再び、半袖またはノースリーブ+ショーツという格好でくつろいでいます(憧れていた長袖+ロングパンツも寒冷時に試したので満足)。



1998年12月28日 月曜日

御用納め

今日は官庁の"御用納め"。TVニュースでインタビューの様子を見ていたら、「こういうごたごたした事は今年一杯で清算し、新しい年は本来の業務に・・・」などと真面目な顔で語っていたのは、野呂田防衛庁長官。 宵越しの金は持たず、の江戸時代の岡引じゃあるまいし、カレンダーが変わり新年になったから旧年のことは皆が忘れてくれるつもりの様で、これでは、体質改善などままならないのは当然だ。

日本の知人、友人たちからネットで来るメッセージにも、今日から9連休とか、仕事納めとか、そういった言葉が散見される。 報告なのか、羨ましがらせてるのか、それとも、嫌がらせなのか、真意は言っている本人も分かってないのかも知れぬ。



1998年12月27日 日曜日

ホコリ除去大作戦

金曜日に久しぶりに大爆発を起こした花粉症が、ようやくおさまってきた。花粉症或いはヘイ・フィーヴァー(Hay Fever)と呼ばれるが、実際には、花粉だけでなく、ホコリ、カビなど様々なものにアレルギー反応が起きる。 昨日、友人と話していたら、彼も花粉症には10年ほど悩まされていて、いよいよ根治の為の治療を開始しようと思い、耳鼻科に行ってきたとのこと。良心的な医院のようで、わたしも近ければ治療に行きたいところだが、医院は横浜にあるので通えない。 そこで、その耳鼻科で聞いてきたという、以下のような「自宅で出来る花粉症対策」を実践してみることにした。それぞれの項目の(括弧)内はわたしの状況。
その先生曰く、第一番に敵を遠ざけること。つまり、ホコリを徹底的に除去する。
  1. カーテンは一週間に一回洗う (カーテンは下げてない)
  2. シーツの洗濯は一週間に一回 (わたしのランドリー・サイクルにピッタリ一致)
  3. 絨毯はダメ (敷いてない)
  4. ソーファは皮革製のものが良い (8月に皮製のソーファに買い換えた)
  5. ぬいぐるみには近づかない (無い)
  6. ホコリをためないように徹底的に掃除する
1 〜 5は特に心配がないものばかりだ。そこで、今日は、6. の徹底ということで、セラミック・フィルタ入りマスクをかけ、ホコリ徹底除去作戦を遂行した。 まず、ヴェネチアン・ブラインド。ブレード毎につく埃は濡らしたティッシュで拭き取る。マイクロ・ブラインドなのでブレードの数が多くて大変。 CDケースもホコリがたまりやすい。これは、ペーパータオルを濡らしてふきとる。デスクの上のコンピューター・キーボードの下や、ナイトテーブルの目覚し時計の置いてある下、リモートの置いてある下、などもキレイに。 白っぽいものは、ホコリが目立たないので拭き取りを忘れがちになるので要注意。 最後に床のバキュームをして、自分がシャワーに入りおしまい。なんか、さっぱりとした空気になった様な気がする。



1998年12月25日 金曜日

カシミヤの手帳

昨日のNYタイムズに、NYストック・エキスチェンジが外国証券に関して5AMからトレード開始とすることを検討中との記事があった。5時というえば、東京時代のわたしなら、ようやく眠りについたというような時間帯だ。

昨日、マンハッタン109丁目一帯では、ウォーター・メイン(主水道管)が爆発し、住民の多くが水無しの一夜を過ごさざるを得なかった、とNY1ニュースにあった。 爆発したのは、直径30cmの主水道管で、109丁目の一部が水浸しになり、109丁目の、アムステルダム・アベニューとコロンバス・アベニューの間にある25の住居ビルは翌早朝まで水の供給が途絶えたとのこと。 この地域は前に住んでいたことのあるでひとごとは思えなかった。

今朝の、フジサンケイTVの日本語ニュースでは、クリスマス商戦について、いろいろな店の売筋商品の紹介が行なわれていた。 デパートでは、カシミヤ製品が良く売れているそうで、カシミヤのセーター、カシミヤの手帳、カシミヤのスカーフなどが良く出ている、とアナウンサーのナレーション。 「???」。テープを戻して聞き直してみた(早朝のニュース番組なので録画しておいて後で見た)。何回聞いても、カシミヤの手帳、と言っている。そんなもの見たことない。良く売れてるそうだが、、、 "手袋"の原稿読み間違え?



1998年12月24日 木曜日

ホワイト・クリスマス

昨夜おそくからぱらつき始めた雪は、今朝おきたら、街全体をうっすらと白く覆っていた。 積雪は1インチ(2.45センチ)程度の控えめのホワイト・クリスマス・イヴだ。

クリスマス・イヴの今日は、休暇を取っている社員も多いし、マーケットも早仕舞いだ。会社も3:30で早締め。 わたしも、4時過ぎには離社。この時間だと外はまだ薄明るい。雪の残る街並みを見物しながらぶらぶらと歩いていると、駐車禁止の一斉取り締まりが行われている。 レッカー車で移動される車を何台も目撃。E会計事務所の入っているエクイタブル・ビルの脇でもレッカー移動中。仕事を終えて帰省しようと思ったら車が無くなっているという哀れな会計士が数人誕生した瞬間に違いない。



1998年12月23日 水曜日

また回線切断?

気温は昨夜から下がり始め、今朝の出勤時は華氏17度(-8℃)。ようやく冬らしくなってきた。ティーンズ(13°〜19°F)は、NYでは普通よりちょっと寒いという感覚で、空気が気持ちよく顔にあたり、出勤が楽しくなる。 シングルズ(文字どおり一桁の温度、つまり1度〜9度までで、摂氏でいうと、-17℃ 〜 -13℃)になると長時間の外を歩くのは避けたい気分になるが。
会社に到着し、メール・チェックをすると、東京から何も届いていない。また、回線切断か、と、EDP関係者に確認すると「きのう東京が休みだから・・・」とのお答え。 日本に住んでない間に出来た祭日はどうも馴染みが薄く忘れてしまう。



1998年12月22日 火曜日

寒い暖冬

11月の末にやってきた November Heat以降、暖かい日が続いている。今朝の気温など60度(15℃)と、半袖でも良いくらいだ。 もっとも、去年までの冬と違い、会社の暖房温度が低い。20℃程度ではないかと思う。去年まではオフィスでジャケットなど着ていたためしが無いのだが、今年はジャケットを脱ぐことができない。 暖房費節減のためなのだろうか。それとも、暖冬なので、暖房を弱くしているのだおろうか。いずれにせよ、今年は外は暖かいが、室内は結構寒い。 9千ドル台を回復したダウ平均株価も、まるで寒い暖冬を象徴しているようだ。



1998年12月21日 月曜日

No problem

今日から会社の e-mailが復活した。先週から切れていた専用回線がようやく安定接続となったのだ。 以前から時々不通になった専用回線だが、4営業日も切れたままというのはめったにない。
こういう時、こちらの業者は「No Problem」と言う。 これは、日本語に訳せない言葉のひとつで、慣れない日本人は「問題が無い、とは何事だ」と、むっとしたりすることもある。しかし、無理矢理、置き換えてみるとこの場合は「大丈夫」といった様な意味で、「わかりました」と同義語と解釈して良い。

回線が復旧して、サーバー溜まっていたメールがどんどん配信されたが、中に混じっていたのが、「回線不調につき、e-mailは使わないで、公衆回線を用いたファクスで連絡するように」という e-mailもあった。 一体このメールの意味って? 発信者に質問したとしたら、No Problem と答えるのだろう。



1998年12月20日 日曜日

パワー・スーツ

3年くらい前に日本に転勤になった友人からメールが来た。日本で初めてスーツを作ったそうだ。 彼は、シェイプアップに努めた結果、6〜7キロ痩せたので手持ちのスーツが体に合わなくなったそうだ。だから、これは、スーツを作った報告というより、遠まわしに、痩せた喜びを伝えたかった様だ。

わたしの場合、体形が変わったことによりスーツを作った事はない。定期的に作りはするが、それは、スーツ自体の消耗による代替を目的とした補充に他ならない。 そういえば冬物のスーツは2年くらい作っていない。夏物は、昨年、日本の暑さに耐え切れず、トロピカルで背抜きのものをひとつ作った。 日本では数寄屋橋にある某テイラーと決めている。NYではチャイナタウンにある某テイラーで作っているが、なんでもおおざっぱな米国において、テイラーだけは、こちらの方が丁寧だ。

日本に比べ、こちらはかなり服装に気を使う様だ。服や小物がステータス・シンボルとリンクしている。 会計事務所、弁護士、銀行あたりが3大外観はったり業界でないかとわたしは思っている。 特に会計事務所のパートナー達の服に対する気のくばりようといったらこっけいとも思えるほどだ。「サラダは絶対たべないんだ。ドレッシングがネクタイに飛んでネクタイを駄目にするからね。」 などという会話がパワーランチ等の時に交わされる。わたしの場合、そこまで厳格な食事制限はしない。トマトソース・ベースのスパゲティ類を食べない様にしている程度だ。 そもそも、わたしは、服に興味がなく、パワー・スーツだって、着替えるのもめんどうなのでパワーの象徴という意味を失っているだろう。わたしにとり、スーツは会社で着る作業着なのだ。



1998年12月18日 金曜日

アリとキリギリス−快楽の求め方

快楽を追求するには、ふたつのタイプがある。ひとつは、今、快楽にひたりたいタイプ。そして、もうひとつは、将来の快楽に幸せな平和を求めるタイプだ。 わたしは、完璧に後者で、例えば、掃除が好きというのは、分析すれば、掃除という行為が好きなのではなくて、掃除されたきれいな家という心地よい空間に身をおく「将来」を追求しているのだ。あるいは、季節の変わり目、終わった季節の服はクリーニングに出してからしまう。来シーズンにきれいな状態ですぐに使えるように、将来の為の準備だ。
ところが、世の中には、わたしと同じタイプの人は少ない様だ。「寒くなったので、冬物をクリーニングに出さなくちゃ」という人が多い。去年の汚れを今年まで持ち越しているのだ。 掃除も「今」はしたくないので、うんとためてからやる。とりあえず、明日のことは考えないで、今現在の快楽を追求するのだそうだ。
明日がどうなるかも分からない時代、こういった、現在快楽享受型の方が、健全な発想なのかもしれない。いくら、明日の為に今努力をしても、今晩地球が無くなってしまえば、最後の想い出は努力であり快楽ではない。しかし、今を楽しく過ごしたいタイプの場合、最後の想い出は快楽であり、その方が楽しく死んでいけるのでは、というのが快楽先取派の主張だ。

要は、アリとキリギリスの話だが、時代の変化によりどちらが得策かというのは変化してきており、キリギリスの方が賢い時代なのかもしれない。アリは夏の間せっせと餌を保存していました。キリギリスは夏に遊んでばかりいました。やがて冬がやってきました。地球の天候変化により冬になっても食料は豊富で、キリギリスは踊りながら豊富な食料に舌鼓をうっています、なんてイソップは書くのでしょうか。しかし、アリが不利になる時代も来るのだろうか。




1998年12月17日 木曜日

Operation Desert Fox

昨日の米国東部時間17:00頃、米国はイラク空爆 "を英軍とともに実施した。 米国は、UN査察チームに対して協力的でないイラクに武力制裁の警告を出していたが、一基2百万ドル(約2億40百万円)の巡航ミサイル「トマホーク」を昨日だけで200発使用し、ミサイル代金だけで4億ドル(480億円)の費用をかけて、警告を実行にうつしたということだ。 しかし、日ごろ軍隊に特に重きをおかないクリントンが今回の行動に踏み切ったのは、もちろん本日予定されていた大統領弾劾訴追と関係付けられてもしかたのないことだ。 現実は映画(ワグ・ザ・ドッグ)より過激だ。



1998年12月16日 水曜日

AT&T は早速・・・

12月8日に IBM Global Network買収を発表した AT&Tだが、昨日は、早速、従来の 接続プランのリニューアルのアナウンスがあった。 今年の春に設定した悪名高い 150時間シーリングを廃止し、WEB HOSTINGは、従来のワンアカウント5MBだったのを、一気に30MBにし、2ドル値上げしたプランを発表。 150時間のシーリング付のは5ドル程度値下げをした様子だが、解説ページが重くてなかなかリンクが開かず全貌はまだ分かっていない。 既存ユーザ(わたしの事)にとり、何より腹立たしいのは、FTPサーバーが昨日から接続不可能な状態になっているということだ。システム状況についてのページを見たくても重くてそのページに到達できない。 きのうのアップロードはいつものFTPではなく、ブラウザから2〜3分かけて行ったのだ。それも、1ファイルだけで、2ファイル目からは繋がらなくなった。 拡大も良いが、状況予測をしたうえでのサーバーのパフォーマンス管理を行って欲しいものだ。
昨日の夜から、会社のネットワーク(NY-NJ-Tokyo の専用回線)も回線が切れ、なんとなく通信不足・不満の一日であり、自分の通信依存症を再確認したのであった。



1998年12月15日 火曜日

虚の美−ふたご座流星群

12月14日、小惑星パトエンを母天体とするふたご座流星群の観測が期待されたが、残念ながらNYも東京地方は曇りで流星の観測は叶わなかった。
夜空を横切る流星は、実にロマンティックだ。流れ星に願いをかけて・・・などという発想が生まれるのもその神秘的とさえいえる美しさにあるのだろう。 しかし、その実体はゴミ以外のなにものでもない。彗星(や惑星)から落ちたゴミは直径1センチにも満たないが、それが、大気圏にはいると激しく大気と衝突するのでプラズマ化し、その光が人類の目には美しくうつるのだ。 ゴミも、みる角度をかえると、流星と呼ばれ、美しきものとして珍重されるという訳だ。従い、流星は、虚の美に他ならないのだ。



1998年12月14日 月曜日

肋骨が折れる時

会社のBさんは、フルマラソンも走るアスリートだ。会社に来る服装をしていてもいかにもランナーという雰囲気があり見るからに健康的だ。そんな彼女がここ一ヶ月ほど健康状態がわるいという。 風邪をこじらしたのか、やたら咳こんでいた。そのうち脇腹が痛むようにもなり、何人かの医者を尋ねたが特に異常はないとのことだった。医者にも分からない原因で具合が悪いという事に彼女の不安は徐々に膨らんできていた。
そうして、何人目かの医者でようやく納得できる事情が解明したのだが、それは、ちょっと意外な原因による症状だったのだ。咳が出るのは肺炎になりかかりとのことでそれなりの薬を処方された。脇腹の痛みは、なんと肋骨にヒビが入っているからだったのだ。 ヒビの原因は咳のし過ぎとのこと。しかし、ふつう、いくら咳をしても肋骨にヒビは入らないだろう。実は殴り合いの喧嘩でもしたのではないかと勘ぐりたくなるが、原因は、彼女の鍛えた体にあったのだ。ランナーとしてトレーニングを欠かさなかった彼女の肺活量はふつうの人の1.5倍はあるとの事で、すると咳も大変ダイナミックなものとなり、その咳が肋骨に与えるインパクトに肋骨は耐え切れなかったということだ。 実は、前にも原因が分からず肋骨が折れた(!)事があったそうだが、その時もひどい咳をしていたとのことで、今になり納得ということだ。
笑うに笑えない出来事であったが、やはり、話を聞いたわたしも、話した本人も可笑しく、笑ってしまった。本人は笑うと肋骨が痛いそうだが、でも笑いを押さえ切れず痛みをこらえて話してくれたのでした。



1998年12月12日 土曜日

低温やけど

久しぶりにモバイルを長時間使った。新しい ISPのテストをちょっとだけ、と思っていたのだが、回線が結構早くてさくさくと快適だったので思いのほか長時間の接続でネット検索、チャットなどしていたのがいけなかった。 上はタンクトップ、下はショーツといったいつもの服装で、カウチに座り、ビデオを観ながらの接続だ。 わたしのモバイルは今は東芝ダイナブック一台のみで、こいつがサテライト(東芝フルサイズ・ノート)同様すさまじい発熱体なのだ。 寒い夜などに膝にのせておくのには可愛い奴なのだけれど、素肌には熱い。長時間膝上使用の時は脚の上にタオルなどをのせるというのが決まったポジションだが、今日はちょっとのつもりだったので直(じか)だ。 途中から熱くなってきたので、ソファのクッションを脚とダイナブックの間に入れたが、その時はすでに手後れだったのだ。 後で気づいたのだが、左の腿にサイズ5センチ×10センチくらいの低温火傷の跡らしきものがくっきりとついていた。 軽症らしくて痛みは無かったのは幸いであった。



1998年12月10日 木曜日

AT&TとIBM

最近大型買収が多いが、今度は、AT&TIBM Global Networkを50億ドルで買収。 8日に発表になったこの買収により、AT&Tは一年間で最大25億ドルの収入増が有り得るとのこと。IBM Global Networkはそもそもは、IBMが自社の社内通信網として用いていたものを一般に開放したのが始まりといわれているが、現在世界59ヶ国に百万人のユーザを持つという。 わたしもそのひとりであったが、接続料金が固定制ではなく従量制であるため、いざという時用のバックアップとして確保していただけで、ほとんど使用はしておらず、普段は AT&T World Networkを愛用しているのだ。 ほかにも契約している ISP(Internet Service Provider)はあるが、この2つが一番長いのだ。そんな訳で、今度の合併の発表を見た時はなんだか「あれっ」な感じであったのだ。



1998年12月 9日 水曜日

初体験はひどく痛かった

朝食を食べ終わったころから、歯が痛み出した。じんじんじん…。実は、歯が痛いというのは生まれて始めての体験なのだ。過去に虫歯経験はあることはあるが、痛みを伴った歯のトラブルは未経験だったのだ。これが、皆が言う、「歯が痛い」というものなのか、とクールに観察していたのも束の間、喉も痛くなってくる。そのうち、視力にも影響がでてきてよく見えなくなってきた。もう、顔全てが痛い。クスリを飲んで痛みをとめてランチ。 午後、しばらくすると、極めて不快な類の継続した鈍痛が脚にまで拡がり、我慢の限界。歯科医に電話。緊急を告げて夕方のアポイントメントをとる。一方でバファリンを2粒追加、痛みは止まったが、クスリのせいで頭がふらつく。 朦朧としてきて、目の前の書類の上で文字や数字が無意味にひらひらしている(ほんとうは夕方までに内容をまとめて東京に e-mailしなければいけないのだ)。 舌先で触れてみると、奥歯のあたりの歯茎がぷっくりとふくらんでいるではないか。これは、きっと歯がくさってしまっていて、全ての歯を抜かねばならず、歯無しになってしまうのにちがいない。義歯もつくれず、これからの余生はふがふが状態なのだ、と、例によって、想像の世界に入り込んでしまうわたし。

夕方、歯科医へ。日本のシンドラー(当時のリトアニア日本領事館副領事杉原千畝(ちうね))に助けられたユダヤ人を父親に持ち、17歳まで神戸で育ったこの先生は、客が1年半ぶりに戻ってきたので大喜び。さて、レントゲンを撮った結果は、1年半前のレントゲンと殆ど変化はなく、重症ではない。痛みと腫れの原因は菌が入ってしまったからに違いない、との診断。疲れている時には起きる事のある症状とのこと。 抗生物質を5日間服用するように、と処方箋をくれる。 帰宅途中のドラッグストアで薬をうけとり帰宅。痛止めのバッファリンを一錠追加。抗生物質+バファリン+アレルギー用の抗ヒスタミン剤で何がなんだかわからなくなり21:30にはベッドへワープした。



1998年12月 8日 火曜日

ジョンの魂

今から18年前、1980年12月8日、NYC西72丁目1番地にある自宅、 ダコタ・アパートの前で、ジョン・レノンは凶弾に倒れた。22:50、レコーディングを終えて帰宅するところだった。即死状態だったと伝えられています。

奇しくも、同じ12月8日、ただし、更に39年前の1941年には、日本軍による真珠湾攻撃により大東亜戦争が始まりました。
ジョンの魂、そして、ジョンが何より望んだ人類の平和のために黙祷。



1998年12月 7日 月曜日

記憶

週末は常に充分な長さが無い。今回も、勿論その例外ではなく、あっという間に月曜日がやってきてしまった。
出社したら、ある社員にPCについての質問をうけた。金曜日の夜、パーティー席上で話題になった内容で、その社員もその席にいたのに、本人は記憶にないとの事。 よく、「酒の席だったので覚えてない」とかいうのを聞くが、あれは本当らしい。でも、いかにも酩酊という状態の人が「覚えてない」というのは分かるが、その人は顔色ひとつかえず、足取りはもちろんしっかりしてるし、口調もいつもとおなじだった。 それでも、実体は酔っ払っていたらしい。何しろ、その時の会話は後にはさっぱり記憶にないとのことなのだから、記憶装置に書込まれなかったのか、書込まれたが、アルコールにより書込まれたデータがワイプされてしまったのかのどちらかだったのであろう。

記憶といえば、わたしは記憶マネジメントが下手で、いったん見聞きしたり読んだりした事は、ずっと記憶にのこってしまう。ところが、記憶整理を頻繁に行う人たちは、たいてい数ヶ月で記憶の削除を行うらしくて、出来事や会話についても一定期間を経過したものはさっさと脳内ディスクから削除してしまい、「憶えてない」とけろりとしてる。 アーカイヴに格納する人もいる様だ。さっぱりデリートという人は頭痛も起きないそうで、うらやましいかぎりだ。 そういう人の場合、PCのハードディスクもさぞやさっぱりしてるだろうと思ったら、やはり、どんどん削除しちゃうそうだ。わたしのディスクときたらバックアップ、セカンド・バックアップ、セカンド・バックアップ1、エトセトラでファイルだらけだ。ログの類だけは整理してDドライブ(増設した内蔵HDD)に格納しているが、作業中のファイルについては増殖スピードに整理が追いつかない。 そして、そのファイルの格納場所を記憶するので脳内記憶装置はますます頭痛の種が増えるということだ。



1998年12月 4日 金曜日

Year-End Partyで

酒が飲めなくて、且、人込みが苦手で、更に、人見知りもするというわたしにとり、パーティーや忘年会の類は出来るだけ避けたいアクティビティーのひつなのだ。 しかし、今日は、会社の忘年会(Year-End Party)。よほどの事情がない限り欠席するわけにもいかない。しかし、めったにそういう席にいかないものだから、わたしにとりめずらしい光景が多く、ヒューマン・ウォッチングを楽しんだのだった。

まず、「写真撮っておやぢ」:カメラ持参の社員が沢山居て記念撮影などしているのだが、このおやぢは自分ではカメラを準備してなかったらしい。それで、手近のテーブルの上においてあったカメラを見つけると、近くに居た若手社員を呼びつけ、そのカメラで自分を撮影するように、という。 誰のカメラかも全然わからないのだが、両手に花状態の自分の姿を記念に残したい本能なのだったのだろうか。尚、そのカメラの持ち主はわたしの横にすわっていたのだが、「あっ、あれ、わたしのカメラ・・・・」と小さく呟いた。撮影終了後は、「●◆さんにはカメラは見せられない」とカメラをしまったのは言うまでもない。
その2.「ホストおやぢ」:ピッタリした黒のハイネックがとても似合い、やわらかい物腰での酒のサービス、物まねなど、昼間の姿とは別人になる。
その3.「バック転おやぢ」:耳年増をセールスポイントにしているこのおやぢは、バック転ができるとのこと。皆のリクエストに応えて試みたのは良いが、重々しいどっすん、が響き渡りました。体内アルコール濃度が高すぎて、運動神経が鈍ったか、それとも、中年太りでカラダが物理的に重量増となったのか。
その4.「ダンサーおやぢ」:彼は、業務中でも明るい性格で誰にでも好かれるのだが、ダンスの上手さはピカ一。身がかるくて、まるで体重が無いみたい。
そして、さいごに「不変おやぢ」:昼間の社内と全く変わらないしかめっつらで寄ってきて仕事の話をする。

きっと、どのおやぢも、どこにでも居るタイプなのでしょうが、わたしにはめずらしかったのでした。
最後までいたら、もっと面白い光景にも出会えたのかもしれませんが、人口密度とノイズレベルの高さに疲れてきて、10時前にまだ途中だったけれど密かに抜け出して帰宅、これを書いている。彼らにの立場からみれば、わたしはネット・ヲタクで不可解な存在なのだろう。



1998年12月 2日 水曜日

22メートルの木

定時で退社。会社を一歩出たら、人がやたら多い。 そうだ、今日はツリーの点灯式だった。 毎年、ロッカフェラー・センターには巨大なモミの木が設置され、そのイルミネーションの点灯式は名物となっている。 今年は、オハイオから切り出してきた22メートルのえぞマツの木に3週間かけて2万6千個の豆電球がつけられ、ヒラリー・ロドハム・クリントンが点灯スイッチをオン。 式は7時から行われるが、その見物客は5時前から集まりはじめ、職場も自宅もその近くである私はヒトによる歩道渋滞の影響をもろに受けるということだ。
それにしても、世の中には、混雑が平気な人が多い。何しろ、混んでいると分かっていて混雑の方向に向かうのだから。 人混みが苦手な私は、比較的ヒトの少ないストリートを選び、なんとか自宅に到着した。


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