Diary: Apr-May98June98July98Aug98Sep98Oct98Current


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1998年10月31日 土曜日

ハロウイーン

ハロウイーンはあらゆるお祭りのなかで一番好きだ。理由は、なんといっても、キャラクタの可愛いところだ。ガイコツ、怪しい黒猫、血を流しながら叫ぶゾンビなど、どれも愛すべきものばかり。 うちから近いロッカフェラー・センターの屋外スケート・リンクでは、破れた黒いマントをひるがえしながらガイコツ男が気持ち良さそうに滑っていた。とっても上手。 地下鉄に乗っていると、突然青白い顔から血を流した人達がはしゃいだり談笑したりしながら乗車してくる。わくわくする夜だ。
グリニッチ・ビレッジでは恒例となったハロウイーン・パレードがいままでになく大掛かりに開催された。巨大カボチャやオバケに混じり目立ったのは、政治的サタイアの扮装。もっとも、これこそが本当のオバケなのかもしれない。

アメリカのお祭りは宗教に起因したものが多く、このハロウイーンも例外ではない。 本来は、All Saints' Day(全ての聖人を祝う日)の前夜祭というキリスト教の祭りがハロウイーン(All Hallow's Even = Halloween)の語源だ。 習慣自体は、ケルト人が新年の前夜に死者にご馳走をふるまい霊を静めたという習慣に起源がある。 無神論者のわたしとしては、宗教的お祭りには参加しない事が殆どだが、ハロウイーンは宗教臭があまり強くない事もあり、楽しく眺めている。




1998年10月30日 金曜日

映画の感想

少し前から気になっていたのだが、この"DIARY"は日記というより、映画の感想メモの様な様相になってきている。 映画の感想が頻繁に登場するならば、それを纏めて日記とは別に管理するのが普通なのだろうが、わたしがそれをしないで、日記と混在させたままにしていたのは、それなりに理由がある。 ひとつは、わたしが、映画マニアでも通でもなんでも無いし、詳しくもなく、ただ映画が好きなだけなので、映画のコーナーを作るのは気後れする、という事だ。 もうひとつの理由として、単にわたしが不精で、今までのを分けるのが面倒だ、という事もある。実は、これがメインの理由らしかったが、一念発起、映画の感想のコーナー作成に着手、今回、 取り敢えず、今まで "DIARY" に書いた分やそれ以外の分につき約50本の映画の感想文達を集めてアップしたのだ。 なせばなるものだと、我ながら感心した。




1998年10月28日 水曜日

人格が変わる時

ハンドルを握ると人格が変わる、という話はよく聞く。静かで温和な人が、一旦ハンドルを握ると、別人格に変身し、割り込まれたりした時など「てめー、ふざけんなよぉー!」などと怒鳴ったりする、というのは特にめずらしい事ではないらしい。
ところが、会社には、歩道に出て歩き出すと人格の変わる歩行者、という人が居る。 普段の彼女は、ちょっとユニークではあるが行動はおとなしい方だ。ところが、一旦、歩道に出ると、自分の進路に人が居れば突き飛ばし、歩くスピードの遅い人が居ればその足を踏みつけたりのパンクぶりを発揮するのだそうだ。 ただし、この話は客観的な立場での観察に基づいてない。つまり、本人が告白した内容なのである。従い、もしかすると、事情は違っているのかもしれなく、是非、検証せねば、と思っている。 その時は、勿論、踏まれない様に充分注意するのは言うまでもない。




1998年10月25日 日曜日

夏時間と冬時間

米国は「夏時間」というものがある。現地の言葉で Daylight Savings といい、夏の間だけ、時計の針を一時間進め、太陽のもとアウトドア・ライフをしよう、といった趣旨らしい。 4月の最終週末から10月最終週末までが夏時間。今回を例に取ると、10月25日の日曜日の2:00AMに時計の針を一時間戻し、1:00AMにする。 だから、10月は、一日が一時間伸びるのでいつもより睡眠時間が長くとれる、筈であった。 しかし、わたしの場合、土曜日のうちにはやばやと目覚し時計などを一時間もどしてしまい、いわば、一時間先取りしていたのだ。そして、その事をすっかりわすれて既に冬時間の時計から更に一時間、時間を戻してゆっくりした生活をしていた。 夜になり、PCでの作業をしてたら「Daylight Savingsの終わりですので時計をなおします」といった内容のWindows 95の小さなウインドウがポップアップし、システムクロックが突然1:00AMになり、世間は冬時間に突入したことを自覚した。 そういう訳で、一時間得するはずだったのが、なんだか一時間損した気になってしまい、日曜日も一日中「今は一体何時なのだろう」と混乱し続けるたのであった。やはり、時計あわせのタイミングは世間一般と合わせた方が無難ということらしい。
夜派のわたしとしては、夜が長い方が嬉しいので、冬時間に戻るのは結構なことだ。そもそも、時計の針は進めたり遅らせたりする必要すら無いと、実は思っているのだ。




1998年10月22日 木曜日

雨と傘

日本では雨が降ってくるたちどころに街には色とりどりの傘の花が咲く。 しかし、ニューヨークでは事情がちがう。どしゃ降りの場合は別として、人々はあまり傘をささない。 日本だったら、出かける時に曇っていたら天気予報をチェックしたりして傘を持ってでかけるのが普通だろうが、NYでは、雨がふりそうだから、今日は傘を持って出かけよう、という発想は一般的ではない。 人々が傘を持って外出するのは、出かける時点で大雨が降ってる時だ。従い、途中で雨がふってきたからといって、おもむろに傘をさすという人々は結構少なく、過半数の人々は雨のなか普通に歩く。わたしもめったな事では傘はささない。

英国でもドイツでも、同様であった。雨が降ってきても、慌てる事も無ければ、傘をさすこともないのだ。英国といえば、英国紳士と傘は切っても切れない関係だ。だが、あの細い傘は、おしゃれ用傘であって、雨の時にさす傘ではないのだそうだ。専門の人に巻いてもらわなければ、あの様にぴっちりと細巻きには出来上がらないとの事だ。
NYでは、そもそも雨傘というものが発達していない。人々はろくな傘を持ってない。 骨が1〜2本折れ、歪んだ傘が大手を振って現役でいる。

日本ではこまめに傘が用いられるのは、日本人は世界一自分が濡れるのを嫌う国民なのだろうか。 日本と欧米に居住経験をもつわたしとしては、以下分析する。 「日本の雨は濡れるが、その他の国では雨が降ってもあまり濡れない。」 これにつきるのだ。はじめは不思議だった。英国の夏はにわか雨が多く、晴れていたかと思うと突然雨が降ってくる。しとしと、という感じではなく、ばらばら降ってくる。 それでも、歩行者はほとんど濡れないのだ。少しは濡れるが、雨が止めばあっという間に乾いてしまう程度だ。NYも同様で、なんとなく濡れるけれど、気にならないし、雨がやんだり室内に入ったりすれば直に衣服や髪は乾いてしまう。 この差については、長年の研究の結果、以下の理由が妥当という結論にたどり着いた。 「日本はもともと濡れてるのだ。」 日本では、年間を通して高湿度という気象条件上の特徴があり、雨が降らなくても既に湿っぽい状態となっている。 そこに雨が降れば、あっというまに飽和点に達し、とても濡れっぽくなってしまい、また、乾くのにも時間を要するのだ。 だから、人々は傘で防御する必要があるのだ。




1998年10月21日 水曜日

飛行船 2

ニューヨークの空はよく飛行船が飛んでいる。胴体は格好の広告媒体だから、各社デザインを競う。 スヌーピーの絵が大きくついたメットライフ(保険会社)、グッドイヤーはロゴが有名だ。夜になるとボディーはライトアップされ美しい。
飛行船は英語では blimp(ブリンプ)。 サンドウイッチにもブリンプと呼ばれるものがあるが、これは用いるパンの形が飛行船と似ているからで、ホットドッグ・ロールを2〜3倍大きくした様なパンにたっぷりと具を挟んだブリンプはひとつでお腹いっぱいになる。




1998年10月20日 火曜日

飛行船とヘリコプター

昨晩、夜なのに、窓の外での広い空には、飛行船×1、ヘリコプターが6〜7機も飛び回っていた。方向はマンハッタン中央部、何かイベントでもあるのだろうか、と思っているうちに、23時頃には一機もいなくなった。
これらの飛行物体達は、ミッドタウンで行われたラリーの報道関係だった様だ。 このラリーは先般、ワイオミング州の大学で起きたゲイ学生撲殺事件の被害者マシュー・シェパード追悼を目的としたもので、4千人以上が集まりマンハッタンの中心である FIFTH AVENUEをデモンストレーション行進(マーチ)した。 また、このラリーは、また、アンチ・ゲイによるゲイに対する迫害を規制する法の強化を呼びかけるといったプロテストの意味も込められていたのだが、 しかし、デモが無許可であったことから、警官が出動、マーチを阻止しようとし、結局100人近くの逮捕者を出すにいたり、大混乱となったとのことであった。
ところで、米国において大都会では市民権を得たゲイだが、田舎(ワイオミングは田舎の州)に行くとまだまだ迫害、差別が多いのが実状。人種差別も根強いし、また、ラディカルなもの一般に反感を感じる人が多い。米国の田舎というのは、極めて保守的なのだ。




1998年10月14日 水曜日

足と靴の相対関係

夕方になると靴がぬげそうになり困る。
朝と夕方では同じ靴とは思えないほど、サイズがあわなくなってくるのだ。 これは、靴が一定の周期で収縮を繰り返しているのか、あるいは、わたしの足は朝晩で異なるサイズに変化するのかのどちらかだろう。 今までの人生で何足の靴を買ったか残念ながら記録は無いが、どの靴でも夕方にはゆるくなってしまう。色々な年代の時に色々な国で購入した、その全ての靴に朝小さく、夜になるに従い大きくなる細工が施してあったとは考えにくい。 ひとつやふたたつ、加工もれの靴に出会ってもよさそうなものだ。 従い、大きさに変化が生じているのは靴ではなく、わたしの足の方だと考える方が理論的だ。

変化の幅は、朝と夕方では靴のサイズにしてワンサイズ分位だ。途中でサイズのちがうものに履き代えない限り、足が大きい時に合わせた靴をはかざるを得ない。 足より大きい靴は具合が悪いだけだが、足より小さい靴は履く事が出来ないという致命的な欠点があるからだ。朝ぴったりの靴は、午後になるといつのまにかゆるめの靴となり、夕方頃にはもうスリッパ状態だ。 電車で通勤していた頃、帰りの電車に飛び乗ったら、靴が脱げて靴だけプラットフォーム残ってしまったことがある。 大変っ、とあわてて電車を降りてプラットフォームに取り残された靴をとろうと思ったら、今度は残りの片方が電車の中に…という出来事があった。

靴を買うときは、朝ではなく午後にすると良い、などと言う説を聞く事が多い。何故なら、足は午後になると膨張するからだそうだ。長いこと、その話はウソだと思っていた。 不要な靴を買わせようとする靴業界流通促進組合(そんなの無いだろうが)の陰謀だとさえ思った。 だって、わたしの場合、もし午後に靴を買うとしたら、もし、その時にぴったりの靴を買ってしまったら、朝は絶対に足がはいらないからだ。しかし、普通、靴を買うという行為は朝ではなく午後に行う。 従い、靴を買う時には、冷静に慎重になる必要があるのだ。つまり、自分のサイズと思われる靴をはいてみて、足にピッタリは即ボツ。朝から午後までの間に足が縮んだ分を逆算して、それを、靴のゆるさ具合に換算する必要があり、極めて高度なテクニックが必要なのだから。 しかし、いろいろな人にヒアリングしてみたら、何と、1人を除く全ての人が、足は朝のが小さく、午後になり大きくなるというではないか。世の中の人々は午後靴屋に行き、その時に足にぴったりのを買えば、問題はないという事なのだ。 そんなハナシ、信じるのは困難だ。わたしは、やっぱり、沢山の人に騙されているのに違いない、と思っているのである。




1998年10月11日 日曜日

サンドウイッチに見る日米文化比較

週末は、クリーニング屋へ一週間分のワイシャツを置いて、食料品の買物をして帰る。通常これは土曜日のうちに済ませ、出不精なわたしは、日曜日はどこにも外出しないことが多い。 でも、今日は、久しぶりに天気も良くなったので、ランチにサンドウイッチを買いに、いつもベーグルやチーズや乳製品を買うデリへ出掛けた。

サンドウイッチは、NYに戻って来て一番うれしかったもののひとつなのだ。 というのも、こちらで、サンドウイッチといえば、各個人の嗜好に合わせてのカスタムメイドが普通で、様々な種類のパン、挟むものが用意されていて個人の注文によりその場で作る。 今日の注文は「焼いたターキーのスライスとスイス・チーズをライ麦パンで。マヨネーズとマスタードを塗って、あと、レタスとトマトとスプラウト(アルファルファの事)を入れて」というもの。自分の好みにぴったりあった美味しいサンドが食べられる仕組みだ。

しかし、日本では、NYの様なデリは無いが、レストランで注文する場合でも、パンの種類、塗るもの、挟むもの、全部決まっていて、パンの種類など勿論えらべないし、チーズサンドにマスタードを塗った方がわたしはうんと好きなのに、と思っても、それは「規格外」だからゆるされない。 日本では、皆と同じ事が前提であり、用意されるものも、規格化されており、規格外は認められない社会だからだ、という点を象徴している様に私は思う。




1998年10月9日 金曜日

星に願いを

めずらしく3日間雨模様の日が続いている。よりによって、この3日間でなくてもよさそうなものなのに、とうらめしい。というのも、今年の 10/8〜10/10の3日間は流星雨がみられる可能性が高い時期だからなのだ。 流星は幾つかが同時に流れることがあり、流星群と呼ばれる。流星雨は、流星群より更に大量の流星が一度に出現する現象で、現象自体は皆既日食より発生頻度は高い。今回の流星雨、ジャコビニ流星雨は、13年に一度、母彗星が近日点を通る際に観察される。 しかし、毎回必ずという訳でもなく、1972年には肉眼では観察できなかったが、1985年は大出現があったとのこと。 1998年も大流星雨が予想されていたので、毎日、夜になると空を見てばかりいたが、曇りか雨の日ばかりが続いたのだった。数百の流星、まだ観た事が無い。




1998年10月7日 水曜日

アザラシの微笑み 〜 なめる風邪薬を買った。

風邪はめったにひかない方で、2〜3年に一回くらいの経験なので慣れてないものだから、一旦発病するととても辛い。 まして、最近は花粉症なんていう現代病の洗礼もうけたりしているものだから、どこまでが、風邪の症状でどこからが花粉症なのか、また、相乗効果となっているのか、兎に角、人間廃業という感じがしてくる。 風邪をひいても医者にかかったことはなく、また、あまりクスリも飲まない主義だが、今回は、あまりに症状が悲惨だったので、ドラッグストアへ出向いた。 実は、前から目をつけていたモノがお目当てだ。その名も "COLD EEZE"(風邪、楽にしちゃう)というもので、なんと飴玉形体なのだ。 フレーバーにはオレンジやらピーチやらいろいろあるが、わたしは愛らしく微笑むアザラシの絵柄につられて、ミント味を購入。 なめてる間は結構おいしいのだが、後味がひどい。でも、効果は劇的であった。この飴玉をなめて10分もすると、風邪の諸症状はどんどん楽になり、この時を境にわたしの風邪はどんどん快方に向かったのであった。




1998年10月6日 火曜日

満月の夜は・・・・

昨日、会社で中国系の社員から月餅をもらった。直径12センチくらいで厚みも 5〜6センチはある大型で、蓮の実餡で卵が入っていた。 中国では、満月のときには月餅を交換する習慣があるそうで、そのおすそわけだそうだ。但し、一年に一度だけ、太陰暦 8月15日の満月のときだけだそうで、日本でいう中秋の名月と同じだ。
’ネットで月齢を確認、たしかに 10月5日は満月、15夜だ。わたしのアパートの窓からは、地理的条件から22時を過ぎないと月は見えないし、天気も雲が多い。 でも、23時近くになり天気も晴れ、ビルの合間にその丸々とした姿をあらわした満月は翌朝、今朝 7:30に西の空に姿を消すまでゆっくりと天に弧を描きました。
満月の夜、Moonstruckは起きなかったけれど、中秋の名月のすてきな一夜でした。




1998年10月5日 月曜日

映画の撮影現場

最近マンハッタンを歩いていると映画を撮影している現場に出くわすことが良くある。 住んでいる場所や生活パターンに変化はないのだから、ニューヨーク市のウエストサイドを舞台にした映画が増えているという事だろう。映画を観ていても、わたしの生活圏が背景に登場することは頻繁だ。映画の撮影はするのも見るのも面白い。 今日は、歩道のシーンを撮影のためスタンバイの役者群とニアミス状態を経験した。 至近距離で見た彼らの顔は、一般人と全く違っていた。顔全体の緊張感がちがっていたが、とくに違うのは眼だった。明らかにココロはこの世には無い眼だ。 つまり、一般の人の眼は、車に跳ねられないように、周りに注意したりとか、この世のいろいろな雑事に心を配っているのだが、撮影中の役者の眼にはそういうものが皆無だったのだ。 演技の世界に完全に入り込んでいるものであり、納得するやら、感動するやら。




1998年10月3日 土曜日

ピースメーカー

巷での評判はあまり良くない作品だが、なかなかどうして、大いに楽しめた。 何者かに盗まれたロシアの核弾頭を取り返すべく大活躍する米国チームの追跡劇。ケリー博士(ニコル・キッドマン)は米国核兵器密輸対策班のリーダー、補佐に任命された特殊情報局のデヴォー大佐(ジョージ・クルーニー)と調査を開始する。 東欧からオーストリア、そして米国へと舞台を移しながら次から次へと休む間もなく披露されるアクション・シーンは、アクション内容にバラエティーもあり、目がはなせない。 核弾頭強奪時の列車爆破のシーンは、ミミ・レダー監督の次回作であるディープ・インパクトのSFXよりはるかに臨場感があった。 一番面白かったのは、メルセデス・ベンツに乗る主役チーム対BMWに乗る犯人チームがくりひろげるウイーンでのカー・チェイス・シーン。欧州車の丈夫さに感心しました。
この作品が不評だった原因というのは、犯人の動機が、映画のほかの部分と結びつかないという点だろう。 ボスニア戦争で家族を失った悲しみが米国への憎しみとなっているのだが、中途半端に政治を盛り込んだので、不死身のヒーロー活躍物語という他の部分と比してなんだか唐突だということでしょう。でも、そんな事は気にしないで楽しめるA級のB級映画でありました。




1998年10月2日 金曜日

いろいろな点々

暗いところを背景としたいろいろな点々を見ると安心する。
夜、帰宅したときや、夜寝る前に照明を消すと、室内のあちこちに小さな点々が光る。その正体は、テクニカルに表現すれば、発光ダイオード達だ。 緑の点々は、プリンタに2〜3個、TVに一個、コンピュータ本体に1個、のモニタに1個、ノート・パソコンに2個、赤い点々は、ステレオに2個、アンテナに1個、 電話機に2個、等だ。黒をバックグラウンドに緑や赤のドットがあちこちに輝いているのは視覚的にも大変美しいが、全ての機器が機能しているという安心感をも与えてくれるのだ。




1998年10月 1日 木曜日

人間ほいほい

金融機関や情報産業に身をおいている人にはお馴染みだと思うが、レイズド・フロア(raised floor)というものがある。 これは、本来の床の上20センチくらいに、raiseしたもうひとつの床をつくり、おびただしいワイヤ類は、そのふたつの床の間にはわせる事で、人間居住スペースの足元をすっきりさせるものだ。 通常は、50センチ四方くらいのメタル・パネルをいくつも組み合わせてある。其々のパネルには絨毯が糊付けされている。
工事中の我がオフィスはペンキが付かない様になのか、目的は定かでないが、とにかく、この絨毯のみがはがされており、メタル製の床がむき出し状態となっている。 絨毯が糊付けされていたものだから、剥がしたあとは、のりっぽくスティッキーだ。 あるく都度、"にちゃっ"と音がする。これは、何かの状態に似ているのだ。考える事は世界共通らしく、誰と無しに言い出したのが、「“グルー・トラップ”(のり式鼠捕り)みたい」というもので、日本式に表現するならば、「ごきぶりほいほい」だが、このサイズなら“人間ほいほい”といったところだ。



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