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1998年8月31日 月曜日

夏も終わりなのだ

今年はじめての冷やし中華を食べた。そのラーメン屋では、8月いっぱいで冷やしは終りだそうだ。あやうく "冷やし" 無しの年になってしまうところだったが、冷やしを食べない夏だけは、未然に防いだ。もう、夏も終りなのだ。



1998年8月30日 日曜日

ダイアルアップ無切断接続20時間

健康の為と思い、昨日と今日、エアコン無しで過ごしてみたが、体調の悪い理由はACではなくて、昨日から高くなった湿気であるという事に気づき夕方からACオン。騒音とともに適温の環境が戻ってきた。 蒸し暑いのは何もやる気が起きなくなりダメだ。しかし、ネットでは、ダイアルアップ無切断連続20時間接続(途中で日付が変わったのも含めた連続、今日だけなら13時間)という記録を樹立した。 別に誇れることでもなんでもないが、でも、丈夫な回線だとすこし嬉しくなったりもした。

エアフォース・ワン』鑑賞。
大統領専用機がハイジャックされた。同乗していた自分の家族およびスタッフを守る為に、そして、テロ行為に屈しない為に、八面六臂の大活躍をする米国大統領の話。 この大統領は、ハリソン・フォードなものだから殴りあいもマシンガンの撃ち合いも得意なタフガイなのだ。日本では絶対有り得ない設定だ。小渕、橋龍、はもちろん、羽田、大平、その他どの歴代首相を置換えてみてもギャグにすらならない。



1998年8月29日 土曜日

ゲーム

クーラーばっかり付けていたら何となく体調が冴えない様な気がしたので今日は一日、窓を開けてクーラー無しとした。暑いけれど、風があるので何とか耐えた。

ゲーム』(THE GAME)鑑賞。
ちょっと人生に疲れた大富豪のニコラス(マイケル・ダグラス)に彼の弟(ショーン・ペン)が贈ったプレゼントは、緊張と狂気のゲームだった・・・・ というストーリーでマイケル・ダグラスはまさにはまり役。最後の最後まで気を抜けない作りで、終わったあとは、おもわず拍手しちゃう派と、「おぃおぃ」と言いたくなる派にわかれそうだが、わたしは前者。人生は不条理だもの。



1998年8月28日 金曜日

GODZILLA

ローランド・エメリッヒ監督の GODZILLAを観た。(劇場にて)
世間ではあまり良い評判ではない様だが、どうして、なかなか楽しめたピュア・エンターテインメントだった。
南太平洋の島で、頻繁に行われた核実験の影響で、イグアナらしい爬虫類に突然変異が起き巨大化したのが、GODZILLA(ゴジラでは無い)だ。 大画面で暴れるGODZILLA、音響効果とともにビルの谷間を飛び交う米軍の攻撃機、それだけでも充分に面白い。ましてや舞台が自分の街なんだし。

人々の心に深い感動を与えるのも映画だが、ひたすら楽しい2時間半を過ごせるという種類の映画もたまには良い。続編は不要だけれどね。



1998年8月27日 木曜日

Wag the Dog のブラックユーモアは笑えなかった

ケーブルTVの PPV(Pay-per-View:観たい映画を選んで観た分だけ支払う)で、Wag the Dogを観た。
米国大統領のセックス・スキャンダルから大衆の目をそらすためにアルバニアをテロ国家にでっちあげ、戦争という国民共通の敵(のイメージ)をつくり、国民の愛国心をあおっていくのだが・・・・というお話。 大衆洗脳をテーマとしたブラック・ユーモアの映画として作ったのだろうが、始めはリズムが良く、風刺もきいてるなと思って観ていたのが、なんだか、イラク問題や、最近のアフガンやスーダンへのミサイル攻撃もあったりの現実とあまりぴったりで、 笑えない映画となってしまった、という感じ。

二流的映画出演が続いていたダスティン・ホフマンひさびさの乗ってる演技は良かった。 D.ホフマンと共に世間の心理を操るその道のプロにロバート・デニーロ。それにしても、デニーロって、個人的にお友達には決してなりたいとは思わないけれど、スクリーンでは大好きな役者のひとりだ。



1998年8月26日 水曜日

米国エアコン事情

New York Cityは、地球上では比較的北に位置しているのにもかかわらず、夏はかなり気温が上がる。 特にここ数日は、激暑で、AC(エアコン)を「強」にしている。「強」にするとどうなるかというと、まあ、涼しくはなるのだが、ACから発生する「音」がすごくて、TVを観る場合は、ACに負けじとボリュームをあげなければならず、 また、会話をするときは、声を張り上げねばならず、いずれにせよ、室内は騒音で満たされる事となる。 日本では考えられないレベルの音だ。夜になり、太陽がおちると涼しくなるので、「弱」で充分になり、TVは普通に観ることが出来る様になるが、それでも、日本のACに慣れてる人は、驚愕の一言に尽きる音だろう。 これでも、前よりはかなりの改善だ。何しろ、一昔前のACは音はすごいのだけれど、音だけで、さっぱり涼しくなかったのだから。



1998年8月25日 火曜日

ブレードランナー完全版を観た。

どこが「完全」になったのかというと、ハードなシーンが追加になったのだそうだが、前に観たのが随分むかしの事なので、追加分とそうでない分の認識は出来なかった。
わたしがSF映画を好きになった、というか、映画を好きになった原点ともいえるこの作品は、SF小説の古典、P.K. ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」が原作。 前に観た時は、かなりの衝撃を受けた作品だったのだが、今回は、現実の世の中が大分おいついたなあ、という印象を受けた。 どちらかというと「並」の作品に近づいた気すらする。ちょっと最近アンドロイド系の映画を続けて観すぎたことも、この手の映画に対する感性を鈍らせていたのかもしれない。 しかし、作品の哲学は他の如何なるアンドロイド映画の追従をも許してはいなかった。



1998年8月24日 月曜日

回線復旧、仙人生活終了

10日ぶりに通信が復活した。 電話が無いというのは、現代社会においては、かなり不便であったが、そこを超越してしまうと、なにやら、仙人のような10日間であり、それなりに面白かった。 もっとも9日目くらいに現われた通信依存症の禁断症状には、かなり苦しめられたが。
実際には、電話連絡が必要なこともままあったわけで、そういうときは、25セント玉を沢山ポケットにいれて、公衆電話探しをしていたのだ。

午前中に回線復旧したので、早速、ネットにログオン。日本は丁度テレホ・タイムになったところで、グッド・タイミング。 久しぶりにネットの友人達と話す。メールサーバーには25通たまっていた。広告メール4〜5通は直ちにデリート。 メールアドレスは前と同じのを使っている。接続は、AT&Tのローミング・サービスを利用しているので、IDやPWも同じだ。ローミング・サービスは、APはUSAだが、サーバーは日本(私の場合東京サーバー)にある。 そのせいか、接続スピードがいまいち上がらない。そのうち、こちらのプロバイダに変える予定。

夜、「ALIEN3」を観た。ALIENは気持ち悪いシーンが多く、特に好きなシリーズではなかったので、「3」は今回始めて観たのだ。それでどうだったかというと、結構、面白かったりした。



1998年8月23日 日曜日

10日で10本の映画を観た

最近、毎日映画を見ている。家で映画(ビデオ)を見るとき、通常は(よっぽどの感動作の場合を除き)、ネットしながらの事が多いのだが、今は、電話が無いので、映画に専念している。 どんな映画も、こうして集中して観るとなかなか良いものだと思った。
ちなみにこの10日間で観た映画は;「ディープ・インパクト」、「タイタニック」、「冒険者たち」、「MASK」、「ドラえもん・のび太のねじ巻都市冒険記」、「Desprately Seeking Susan」、「タイムコップ」、「ユニバーサル・ソルジャー」、「理由なき反抗」、そして、今日観た「アライバル」の10本。 うち半分の5本は始めて観たもの。アライバルも始めて観たが、主役がチャーリー・シーンでなかったらずっと良い映画になってたんではないだろうか。この10本のなかでは「冒険者たち」がダントツだった。あと、Jean Claude Van Dammeの映画は別格。彼はやはりとても良いのです。

それにしても、ネットにログオンしないで10日、メールサーバーやICQのサーバーにさぞや諸々たたまっているだろうなあ。 明日は電話回線が復旧の予定。



1998年8月22日 土曜日

リドリー・スコット化している私

最近の私はというと、リドリー・スコット化している。どういう事かというと、家の掃除にかかなりの情熱を傾けているのだ。そういう訳で、今のアパートは私が越してきた時からは見違えるように綺麗になった。 おかげで私の手は荒れ、腕や腰には痛みがあるが、キレイな家に住む為には仕方ないのだ。



1998年8月21日金曜日

新聞購読をしてみました

ひさしぶりに新聞の購読契約をした。引っ越す前まではニュースはネットで読んでいて、新聞は殆ど読まなかったのだ。 電話回線のトラブルが長引きネットからニュースがとれないということもあるが、ネットに繋がらない人々のニュースソースも読んでみようと思ったことによる。 ニュースはネットで読む習慣になっていたので紙に文字が書いてあるニュースは不思議な感じだ。紙に印刷されたニュースは一度に広範囲を読むことが出来るメリットはあるが、スクロールもせずアクティブさが感じられない。



1998年8月18日 火曜日

レティシア

先週、深夜枠で放映されのを録画しておいた「冒険者たち」を観た。30年以上前の映画(1967年)とは思えない新鮮さだ。 リノ・ヴァンチュラが実に良い。 何回観ても感動して、どうしても涙腺がゆるんでしまう。映画が終わったあとの心地よさは、名作独特のものだ。 これは、つい最近ビデオ化されたので、購入しようと思っていたのだが、今回ノーカットで放映されたので、コマーシャルがちょっと邪魔だが、買わずに済んだのだから我慢だ。



1998年8月17日 月曜日

寅さんがうらやましい

59箱。これが、日通が今日持ってきた箱の数だ。 これからしばらくは、なにより嫌いな箱とのお付き合いが続くのだ。過去の15年に6回引っ越した経験からいって、引越しの箱ははじめの数日からせいぜい一週間が勝負だ。 それ以上、箱状態を許容すると一年経っても同じ状態となる法則があるのだ。

それにしても、たかが人間ひとりの生活になぜ59箱もの品物が必要なのだろうか。 寅さんはトランクひとつでふらりと居住地を変えるが、まったくその身軽さはうらやましい。



1998年8月16日 日曜日

いまごろ TITANIC

タイタニックをようやく観た。これも、劇場。 今まで観なかったのは、特に興味が無かったのと、レオナルド・ディカプリオという役者が好きでないことによるものだった。今回、タイタニックを観ても、彼の位置づけは特に変わらなかったが、 映画自体は想像していたものと異なり、3時間10分という時間を感じることも無くそれなりに楽しめた。ローズが、もっと華奢なほうが良かったという意見をよく聞いたが、あの、しっかりした体躯に大いに意味があるのではないだろうか。 主役のローズの丈夫さにはちょっとした感動を覚えた。人間、やはり最後は体力が勝負ですな。



1998年8月15日 土曜日

DEEP IMPACT は NO IMPACT

DEEP IMPACTを観た。期待はしてなかったが、つまらなさは、予想をはるかに超えるものだった。 久しぶりの劇場での映画鑑賞で、大画面でのSFXだけでも楽しめるかと思ったのだが、津波のシーンも、コメットもしらけただけ。ロバート・デュバルやマクシミリアン・シェルの演技がういてしまってた。 もっとも、彼らや、ヴァネッサ・レッドグレーブがいなかったら、あの映画を最後まで見るために映画館に留まることはなかったかもしれないが。 笑えたのが、ニュースはすべてMS NBCだったこと。ドリームワークスの作品ですからね。



1998年8月14日 金曜日

ケータイ in USA

ネットから一日でも離れると死んでしまうのではいかと思っていたが、まだ生きてる。 コンピュータに向かう時間が減るので、なにより目が休まるし、これはこれなりに良いのだ。ついでに、他のコトに割く時間も出来るし。 しかし、電話が無い生活というのは、まことに不便である。 セルラー(携帯電話)購入も手だが、当地の携帯は低機能大型、その大きさは、ポケットに入り切らないようなもので、日本の携帯になれている当方としては、どうも持つ気がしない代物なのだ。 値段もかなり高価だ。理由は、競争がないからであろう。携帯で話しをしている人を見かけるのは、一年前は一日に一回あるかないか、という程度であったが、今は、一日に5人〜10人くらいは見かける。 これからのマーケットとなるのか、USAには定着しない文化なのか、今後の動向が楽しみだ。



1998年8月13日 木曜日

電話の無い生活

電話回線のトラブルで通信が出来ない。電話会社がスト中なのでリペアが来ない状態だったが、ストが今日終わったので、 これから、徐々に作業が消化されるのだろう。来週中には復旧してほしいものだ。それにしても、ネットからまる2日くらい離れていて、不安感というか落ち着かない気分だ。しかし、たまには、こういう時もあっても良いのだろう。 ネットに繋がらない分、引越しに専念することが出来るし(プラス思考)。

街をあるいていて、知り人2人にすでに会った。この街は東京より小さいので人と会いやすいのだ。



1998年8月12日 水曜日

引越しである。

夕方出発の便なのできれいな夕焼け空のなかの飛行。デジカメに納めようかと思ったが、通路側の席の私には窓の開閉の選択肢はなく、そして、全ての窓側シートの人は、夕焼けの空は見たくなかったらしく、窓はすべて閉まった。 そういう訳でベスト・ショットは撮れず仕舞い。

1年3ヶ月ぶりのNYだ。やはり、この街に帰ってくると元気が出る。 前と変わったところは、あちこちで、ビル建築が目に付くということだ。わたしのアパートの近くにも、去年は駐車場だっところに、高層アパート・ビルが2棟建築中だ。好景気にわき、まるで、バブル期の日本の様だ。



1998年8月11日 火曜日

大人不在の国ニッポン

欧州の映画など見ていると、「大人」が登場して会話し、恋愛している。赤ん坊も居るし、子供も、ティーン・エィジャーも居るが、大人もきっちりと存在して大人の人生を謳歌している。 日本の場合も、赤ん坊から子供〜若者と順調に成長するが、そのあと、いきなし、 オジ・オバとかパパママになっちゃう。 カップルに子供が出来ると、そのカップルは突然、「男女」ではなく「親」になってしまうのだ。さらに、自分のパートナーを見る目は、自分の子供を通したものとなるらしい。 自分の親でもない成人を「おとーさん」「おかーさん」と呼びあう民族は希有だと思う。従って、「子供のために」という理由で離婚しない「親」が出てきたりするのだろう。(だから悪いという意味はない。各個人の選択ですから。)

また、趣味の観点から見ると、幼児嗜好ということだ。これは、銀行の通帳の表紙やタッパーウエア風容器の蓋、鍋釜、その他、あらゆる(大人が主たるユーザーの)品物には「可愛い」絵柄がプリントしてあることなどから明白だ。 理由としては、子供というフィルターを通して社会が存在しているので、世の中は全て子供向けに出来てしまうのだろうといったところか。 日本の伝統的わび・さびの世界はどこへ行ってしまったのだろう?

わたしは、境界線を明確にした大人の世界が好きだ。大人の時間に大人だけで、シンプルなインテリアのバーの片隅でワイン・グラスを傾けながら大人の会話などを交わすことに憧憬をおぼえる。 (ワイン・グラスは傾けるだけで、ワインは飲めない私だが・・・I wish if I could drink...)



1998年8月10日 月曜日

ケータイ

あんなものは不要だ、と随分抵抗していた私だが、携帯電話を持つようになり一年近く経過した。 やはり、ケータイは便利だ。私にとっては、ボイスのコミュニケーションの利便性より、データ通信がどこからでも可能になったところのメリットが大きい。

携帯電話については、音の迷惑や発信する電波の迷惑などのマナーについてなどいろいろといわれている。意外と気づいてない人が多いのでは、と思うことに、電話のプライベート性がある。 電話というのは、使用している当人は、相手の声が聞こえ、自分がその相手に応答しているつもりであろうが、携帯の場合、路上などの極めて公共の場所でかかる通信が行われていることが多く、 自分の会話は、実は、周囲の人々に筒抜けとなっているわけだ。おぢさんなどの場合、かなりの百面相で会話したあげく、路上で、見えない相手にむかってお辞儀までしちゃったりするものだから、見てるほうが赤面する。 勿論、見たくて見るわけでは無いのだが、歩行中の道であり、前方を見ないで歩くわけにもいかないので、視界にそういったプライバシーが飛び込んでくるのは避けられないのだ。



1998年8月9日 日曜日

涼しい日の蝉

今日は実に涼しい。昨夜、薄手のダウンコンフォーターを出しておいたので今朝も寒くなく快適な睡眠であった。梅雨はまだ明けてないらしい。 先日の発表は、「梅雨があけたかもしれない」とかいうもので、梅雨の終了を宣言したものではなかったのだそうだ。そして、今年の夏は、梅雨明けのないまま秋になる、という説もあるそうだ。 涼しいのは、楽で良いが、作物の収穫には深刻な影響を与えるので一概によろこんでばかりもいられない。
こんなに涼しくても、窓の外では昨日と同じ様に蝉がないている。2百何十年ぶりの大発生ということだが、家の窓からも、夜中、蝉が脱皮して飛び立っていくのが観察できる。 7年ほどの蝉の一生の最後の一週間を木の幹にとまって過ごすわけだ。いつもはうるさいだけの蝉の鳴き声も、これだけ涼しいと、すこし違って聞こえる。



1998年8月8日 土曜日

HAIR

髪の毛はいつも悩みの種だ。 癖毛で且つ量が多い。これは、どういう事かというと、高湿度の日本の夏はやっかいなことになるという事だ。 ストレートパーマというのをしたことがあるが、流石、ストレートなヘアにはなるのだが、プロシジャが結構大変で、またしたいとは思わない。 一番、不快だったのは、ストレートーパーマをした後は、約一週間シャンプーしてはいけない、という点で、これは、かなり困難な試練だ。4日目に禁を犯して洗ってしまった。 「パーマ(ウェーヴをつける方の)をかけないで済んで良い」などとよく言われるが、まっすぐヘアへの憧れは、こういう人たちには分からないのだろうな。

洗髪には、市販されているシャンプー剤より石鹸の方が良い、と読んだので、3日前から実践してみた。ただし、"シャンプー剤から石鹸への移行期は、髪がびっくりしてごわごわになるが、5回位で慣れてくる"、のだそうだ。 "化粧石鹸"が最適の石鹸とのことだが、化粧をしないので、化粧石鹸も持ち合わせが無く、普通の石鹸でャンプー。髪はごわごわというかばりばり状態になった。あと2日するとほんとうにばりばり状態から脱する事ができるのだろうかと疑問が生じた。 しかも、ばりばりのみならず、どうも、石鹸洗髪はさっぱりしない。結局、今朝、シャンプーを使ってしまった。あと一息というところで、くじけてしまったので、本エクスペリメントの結果は分からず仕舞い。

人生でロングヘアにしたことは一回しか無いが、ほんとうは、長いほうが好みなのだ。だんだん長くなってきて、ひとつに結わくにはあと一息、 といった段階が、大抵、我慢の限界と一致してしまい、「もーやだっ」となってしまう。今日も、鬱陶しさに耐え切れずヘアカットへ。 結局、忍耐不足でまたもや長髪から遠のいてしまった。



1998年8月7日 金曜日

アクセス・カウンタが1000をヒット。

やはり嬉しい。皆さん、どうも有り難う!
他のページの「日記」などで見かけるのが、『1000は嬉しいが、その後は早くあっという間に2000』というもの。 このページもそうなって欲しいものだ。




1998年8月4日 火曜日

日本の夏

梅雨が明けたそうだ。いつになく長居した梅雨だった。いよいよ夏本番だ。
日本の夏といえば、お祭り、花火、そして、といったところが季節描写の代表的なアイテムだ。「お祭り」はあまり得意としない(人の多さと騒音のため)が、「花火」や「氷」は大好きだ。
花火は、冷房のきいた室内から窓越しに観るのが快適だが、去年の夏、外苑の花火大会に行ってみたところ、音の迫力が素晴らしく、窓越し鑑賞とは一味もふた味も違い流石「生」だと感心した。
氷は、フルーツパーラーやファミリーレストランなどで供される「フラッペ」はざくざくの氷の上に果物やら不要なものが乗っかっており、対象外。 わたしのお気に入りは、正統派かき氷を食べさせる「四谷見附 わかば」。ここは、本来は鯛焼きの専門店であり、かの「泳げ、鯛焼き君」のモデル(?)となった老舗だ。 手動式製造機でかくここの氷は、あくまでもふんわり。天使の羽根の様。トッピングは伝統を守り、シンプル。餡子(あんこ)嫌いのわたしが選ぶのは氷あずき。普通の餡子とは一線を劃す優れものだ。 夏以外は経験できない風物というところだ。



1998年8月1日 土曜日

変な一日

買い物の必要が生じたので、新宿へ。ついでにランチも済ますこととした。 お好み屋に入り、注文。30秒もしないうちにモダン焼きが登場した。「お待ちどうさま。○◇モダン焼きです。」 随分早いが、お客が少ないので早く出来上がったのかと思ったが、どうも、わたしの注文したのと別のコンテンツのモダン焼きではないか。空腹だったが、その事を正直に告げた。 はっと気づいたウェイトレスは、「失礼しました」と言いつつ別のテーブルへ持っていった。そういえば、そっちの客の方が先に来ていた。やっぱりね。

お好み焼きの後はコーヒー。近くの喫茶店に入る。注文したコーヒーが来てしばらくすると、モカ・ケーキを持ったウェイトレスが私の席を目指してやってくるではないか。 随分とサービスの良い喫茶店かと感心していたが、わたしのテーブルまであと数十センチというところで、彼女は急旋回し、全く違う方向へと去っていった。やっぱりね。

バスタオル購入のためタオル売り場へ。選択が済み、キャッシャーの横の長いカウンターでクレジット・カードの処理を待っていると、年配の店員が「お待たせしましたっ」と釣り銭とショッピングバッグをささげ出す。 払ってないお金の釣り銭と買ってない品をくれるのかと思ったが、それでは商売あがったりの筈だ。さすが、わたしの怪訝な表情に気づいたのか、店員は「失礼しましたっ」と言いつつ、本来、その品とお釣を受取るべき客を思い出そうとしている様子。 しばらくして、3人くらい向こうで待っていた別の客に接近していったところをみると、混乱は解決したのだろう。

あと少しというところで状況は正されはしたものの、妙な一日だった。



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