Diary: Apr-May98June98July98Current and other months

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1998年7月29日 水曜日


睡眠

睡眠をとらないと人間は一週間くらいで死んでしまうそうだ。よく寝られないという話を聞くことがある。そんな時は、ベッドの中で羊を数えたりしないで、起きていれば良いのに、と思ってしまう。 わたしは、普通は、限界まで起きていて、もはやこれ迄、という段階に達するとベッドに崩れ込むようなスタイルなので、枕に頭をつけたら1分もしないうちに入眠している。その後は、ソリッドに朝までぐっすりだ。夢は良く覚えているほうだ。

昨夜は、久しぶりにブラウザのブックマークの整理をした。要らないものを削除し、ばらばらの物は、関係フォールダーにきちんと格納し、かなりすっきりとした。結構、時間を要する作業だ。ところが、ちょっとした手違いでデリートしてしまった、というところで目が覚めた。 いそいで、PCをたちあげ、確認してみる。ブックマークはオーガナイズされたまま整然と存在していた。夢で良かった。(もっとも、ブックマークは定期的にバックアップをとっているので問題はないのだが、夢の中ではそうではなかったらしくて、ちょっと慌ててた)



1998年7月25日 土曜日

Windows98日本語版販売開始

今日はいよいよ Windows98(日本語版)の発売日だ。大阪の日本橋では、昨日の夕方から、店の前には零時の発売を待つ熱心なファンが列を作ったとの事。東京秋葉原でも21時くらいから行列が出来たそうだ。 95の時もそうだったが、一体、何のために並ぶのか不思議に思う。音楽会の切符などは、早い順に良い席が入手できるし、売り切れてしまうことだってあるから、並ぶ意味がある。でも、Win98は、売り切れる事もないだろうし、初日購入分は高速だが、二日目以降に買うと、落ちやすいとかの差があるわけでもない。 早く使ってみたい人はベータ版を試していただろうし、今更、何なのでしょうね。
たかがOS、されどOS。



1998年7月23日 木曜日

似合う飲み物

昼食後、喫茶店でコーヒーを飲んでいた。ふとカウンターの方に目をやると、モダンな形をした機械からピンク色の液体をグラスに移している。フレッシュジュースを作ってる様だが、色の美しさに、その作業から目が離せなくなった。 果物は一種類ではなかった。機械(ジューサーの一種)の上の方に半分に切った色々なフルーツを次々に押し込むと都度、微妙に異なった色合いのパステルカラーの液体がグラスに流出して行く。 フルーツを投入する順番や、液体となった果実の比重の関係なのか、グラスの中は、一色ではなくて、黄色、オレンジ、ピンクが微妙なグラデーションとなっている。 シェリー酒でも入れる様な、脚付きの細身のグラスに入ったそのジュースはいかにも夏向きでおいしそうだ。夏の午後、涼しげな装いで、木陰でのまどろみから覚めたひとときに飲むのが絵になる、などと空想しているうち、ジュースはすっかり出来上がり、ウェイトレスがお盆にのせて運んでいく。運び先を目で追う。

彼女は、グレイの背広を着たおぢさんの座っている横に、立ち止まった。「まさか」。しかし、そのまさかであった。彼女は、グラスをテーブルに置いたのだった。現実というのは、空想の世界といつでも異なるものだ。おぢさんにあのきれいなジュースはちょっと似合わない。 やっぱり、アイスコーヒーにミルクとシロップをたっぷりと入れて攪拌してる姿の方が似合って絵になるのになあ、とちょっと残念に思った。



1998年7月22日 水曜日

コレクション(2)

コレクターの定義とは、まず、目的だが、自分の好きなアイテムについて、いつでも自分の意のままに鑑賞するために所有する、というのが、私の推測。つまり、収集の心理というのは、身近に置いておきたいという事だ。 そして、定義は、対象物が実用的では無いほどコレクター的だと思う。例えば、作家のペンのコレクションより、外交官が豚のミニチュアを集める方がコレクター的だ。 映画のチラシなども、非実用的で、いかにもマニア的だ。コレクターは、同好の士と情報交換を行い、自分の方がレア物を持ってたりすると、かなりの幸福感を味わうらしい。 コレクターは、(通常)自分のコレクションをキチンと整理し、それを眺めるだけで楽しいらしい。どうやら"几帳面であること"がコレクターに要求される資質らしい。

そうすると、じわじわと私の居住空間を侵略してくる図体の大きいVHS一団は、決してコレクションではないし、好きな音楽のCDがいつのまにか沢山増えて邪魔だ、というのもコレクターの範疇には入らない。 ディスケットなども勝手に増えて始末に困るが勿論コレクションなどではない。読むスピードより買うスピードの方が勝るために増殖を続ける書籍などもコレクションとは程遠い。
私自身は、実は、物理的コレクションに対する興味が皆無である。なぜかというと、モノが増えるのが嫌いだからなのだ。必要に応じて購入するCDやビデオが増えるのが苦痛でならない。観たり聴いたりするのは好きなのに。 従って、ネットワークがもう少し進化して、Video-on-demandや、Music-on-demandが実用化されるのを心待ちしているのだ。そうすれば、自分自身のコレクションは脳内記憶装置にストアしてあるだけで済む様になるから。



1998年7月21日 火曜日

コレクション

いろいろなもののコレクターがいる。 古くは、「切手」が代表的なアイテムで、映画(シャレード)の題材にもなった。バブルの時代は、お金を集めるのが流行ったが、最近では、何だろうか? 

先週、銀座山野楽器で「映画パンフレット・ポスター・フェア」が開催されていた。このコレクション人口は結構多いらしく、マーケットがしっかり出来ている様だ。都合がつかず、行くことは出来なかったのだが(売買のためではない)、広告チラシによると、パンフレットでは、「吸血鬼ドラキュラ」\90,000、「宇宙大戦争」\80,000、 ポスターでは、「七人の侍」\70,000、「宇宙大怪獣ギララ」\50,000、「市民ケーン」\40,000などが、高額商品(パンフレット、ポスターは全て"初版")。テレカの場合、「ロミオ&ジュリエット(ディカプリオ)」が\7,000等、とある。また、チラシにいたっては、「傷だらけの栄光」\160,000、「お熱いのがお好き」\70,000などといったラインナップ。 こういうのって、手放す方の事情は、親のモノを整理したら出てきた等というのが多いのではないかと思うが、自分の所有物の場合、興味が無くなったからなのか、経済的事情なのか、などと、色々思いをめぐらせてしまう。

デジタルの世界は、コピーとオリジナルの区別がないのだから、こういった、コレクションの対象にはなり得ないのかというと、そうでもないらしい。 先日、あるサイトで見かけたのが、プログラムの開発に関するもので、「誰々のサイン入りオリジナル・ディスケット」なるものが、うやうやしくも写真つきで紹介されていた。マニアの間では値がついたりして?



1998年7月20日 月曜日

エステティックス

エステティックが人気で、広告をよく目にするし、会社の人々もよく行った話しをしている。 私は、自分の外見に関することに何やら努力をする事に興味が無く(単に横着なだけという解釈もある)、従い、エステティックにも無関心であった。 ところが、ちょっとしたはずみでエステティック体験をしてしまったのだ。

私は、ストレスがスーツ着て歩いていた様な状態だったのだが、そんな私に、何人もの人々が、エステティックは決して美容だけが目的なのでは無く、むしろ、究極のリラクセーションなのだ、と言うのです。 知り合いのおねえさんやらおぢさんやらが、顔のマッサージが如何に気持ちが良く、ストレス解消には最適かと、目を細め乍ら語るのを聞いているうちに、つい、それでは、などと思ってしまったのだった。

会社の人の推薦の店に予約。ヘアカットの店の一角が、エステティックの処置用小部屋となっている。会社の帰り、予約した時間に到着。胸の上あたりがゴムになってるタオル製肩無し服のようなものに着替えさせられ、小部屋へ。 入ったとたんに、居心地が悪くなる。狭いのだ。私の耐え難い状態のひとつだ。実は、閉所と狭所と暗所と高所がとても苦手な状況なのだが、そのうち、2つまでもを満たすのがこの部屋。でも、これから、きっと、極楽が味わえるのだ、と自分に言い聞かせて、目をつぶる。 目をつぶって、小部屋が狭い事を考えないように努力を続けた。白衣を着たおばさんが登場して、これから始めます、という。どきっ。どきどき。鼓動が自分の耳にこだまするが、リラクセーションの為、と心を落ち着かせる。というよりは、むしろ、諦めの境地、まさに、まな板の上の鯉状態だ。 顔に熱いタオルを押し付けられた後は、何かどろどろしたものを塗り付けられた感じだが、自分自身ではどんな状態なのかすらも見ることが出来ず、表現できない不安感に襲われた。しばらくして、それが拭き取られると、今度は、おもむろに、皮膚がつままれ始めた。 皮膚の老廃物を押し出すのだそうだが、かなりの痛みだ。痛いのも辛いが、ヒトに顔をいじられるのは、非常に不快だ。我慢も限界に達しようか、という時に、「初めてですのでこの位にしておきましょう」との声。果てしない安堵感につつまれた。やっと開放されるのだ、という至福の時であった。 これが、会社のおねえさんやおぢさんの言うリラクセーションなのだろうか(!?)。私には、向かない種類なので、それ以降、エステティックには行ってない。



1998年7月18日 土曜日

満足の瞬間

久しぶりに晴れた。買い物リストに載ったままになり久しいアイテムがあったが、これ以上先に伸ばす良い理由も思い付かなくなり、新宿ヨドバシカメラへ出向いた。 自宅から比較的近いので行きは散歩を兼ねて歩きとした。途中にある映画館では、「不夜城」が上映されており、その映画館の前ではセル画のセールが行われていた。 ジャパニメーションの知識が無いので、どのタイトルなのかは分からないが、一枚980円から2000円くらいのものが多かった。

セル画は、一枚描くのに20〜30分くらいも要するそうだ。 そして、セル画を描く人は一枚あたり30円(!)程度の収入を得ることができるそうだ。時給60円であり、当然これだけでは生活は出来ない。前に、セル画を描いている人をインタビューした番組を観たことがある。 「収入のことを考えたら、とっても続かない仕事だが、やはり、作業が楽しいので続いている」「そして、映画が出来上がって、上映されたとき、ラストシーンの後のクレジットに自分の名前を発見したときに、すべてが報われる」と、セル画を描き続ける理由につき応えていて、私は、とても、納得した。
たとえば、プログラムをこつこつと組んでいって、それ自体は特に楽しい作業ではない事も多いが、しかし、稼動テストをして、「動いた!」そして、設計どおりの「結果がでた」ときの充実感は、これに類似したものだと思う。 この、満足の瞬間の為に、人は生きて行くのだと私は思う。勿論、"満足の瞬間"の内容は各人により異なるものだけれど、"満足の瞬間"が得られないと生きていけないという点は共通しているのだ。



1998年7月16日 木曜日

梅雨が復活

ようやく梅雨が復活した様で、昨晩からの雨はしばらく続くらしい。 雨は、外を歩くには、傘を持つので片手が塞がるなど不便さもあるが、良いこともある。 それは、雨だと、野球がなくなる事だ。誤解を招かないように事前に明言しておくが、野球そのものや、野球ファン自体を攻撃するつもりは全くない。 そうではなくて、TVの野球というのが、どういう訳か、放映時間枠がフロートなので、その後の番組の時間が未確定となるので不便を被っているという事である。録画に多大なる支障を生じるということなのだ。 何故、はじめから、3時間枠とかに設定しないのだろうか? たっぷりと枠を設定しておき、野球が早く終わってしまった場合は、短い番組を流すとかすれば良いではないか。そして次の番組の放映時間はフィックスとしたら、どんなに合理的かと思うのだが。



1998年7月15日 水曜日

心地よい気温

人間が心地よいと感じる気温には個人差がある。汗ばむくらいが好き、という人もいれば、ひんやりする位が好きな人もいる。 私は後者のタイプなので、ここ数日の涼しい気温は大いに助かる。何しろ暑さに弱いもので、暑い日が続くとぐったり疲れてしまう。逆に涼しい日が続くと、夜、寝やすくていままでの睡眠不足を一気に取り戻すことが出来る。 睡眠中心の生活になってしまい、ネットもご無沙汰だ。今、こう書いていて、気づいたのは、暑いとぐったり疲れ、涼しいと寝てばっかりでは、生産的な時はまるで無い、と言うことだ。だから夏は苦手なのだ。



1998年7月12日 日曜日

歴史に残る日

今日は、今世紀最後の参議院選挙、且つ、ワールドカップの決勝戦の日(時差があるので日本では13日だが)という、後世にまで語り継がれるであろう日である。
数週間前から日本中が沸き立ったサッカーフィーバーがそのまま投票フィーバーに継承されたのか、投票所は、投票者で賑わっていた(前回がどの位さびしかったのかは知らないのだが)。

「The Crow」観賞。主演のブランドン・リーが撮影の途中で死亡(事故死説、射殺説など)したため、一時は完成が危ぶまれたが、CGによるシーンで補い出来上がった作品。 CGといえば、「BATMAN」でも、BATMANがビルから飛び降り、ふんわりと着地するシーンなどがありますが、あれは、役者組合(スタント組合だったかな?)が職を奪う(それとも、「演技」についての議論だったかな)などとクレームをつけた、といったような話をどこかで読んだけれど、その後どうなったのだろう。



1998年7月11日 土曜日

フィンランドの渡り鳥

録画しておいたフィンランドの渡り鳥の生態を特集したネイチャー・ショーを観た。フィンランドのその地方(どの地方か失念)では、収穫の後も、わざと、少量の小麦などを畑に残すのだそうだ。すると、そこに虫が生息するので、それを求めて渡り鳥がやってくる。 渡り鳥は、畑に巣をつくり卵を産み、暖めてそれを孵す。農家の人々は、誤って、巣や卵を壊さないように、土地のどこに巣がつくられたか、しっかりシルシをつけて注意深く見守っているのだ。 渡り鳥がやってくる事は、バードウォッチャーの楽しみが増えるだけではなく、農業にもベネフィットがあるのだ。以前に防虫剤を撒いたことがあったそうだが、確かにその時は害虫の発生はなくなったが、鳥も来なくなり、その結果、かえって虫が増えてしまったのだそうだ。 今のシステムは、ヒトと鳥と虫が自然のバランスに従い共存しているのだ。
このシステムは、毎年大量な殺虫剤、除草剤散布を行う「近代農業」に比べて、ずいぶん手間がかかるに違いない。しかし、人間という、他に例をみない破壊的な生き物が地球上にこの後も居候する為には必要な、自然に対する礼儀作法の一例をみた。




1998年7月10日 金曜日

サブノートが退院

Sonyのサブノートが退院してきた。 日曜の午後の入院だったので、治療には実質4日間を要したことになる。 同封されてた「修理レポート」によると、診断症状:モデム動作異常、故障状態:はがれ、処置:修理(I/Oコネクション部)、だそうだ。「はがれ」って何だろう?

THE FIFTH ELEMENT」を観た。ブルース・ウイリスがあまり好きでないことやらなにやらで特に興味も無く、今まで観てなかったが、ビデオ・ショップで「レンタル中」のタグの付いてないのがあったというだけの理由でピックアップした。 ん〜、、仰天というか、これで良いのだろうか、L.ベッソンって分裂症なのかなと真剣に思った。ひたすら能天気なSFXショー(私にとっては)で、それなりに面白かったが、他の作品とあまりに異なったから。 ヴィジュアル的個性が強烈。後半登場する黒人DJは、「トータル・リコール」にも似たキャラクターが居たように思ったが、実在のヒトのパロディー?




1998年7月8日 水曜日

何語で思考するのか。

私の場合は、会話に用いる言葉とは違う独自の思考語なので、アウトプットするときは、それなりの言語に変換する必要がある。 意識して、人類の言語で考える場合もあるが、その時は、思考範囲がその言語のボキャブラリーに限定されてしまう。 また、翻訳というステップが介入しているので、すでに、思考レベルが深くなく、出力しつつのながら思考となっているので集中力も低いと思う。 でも、翻訳プロセスは不要となるので、出力までに要する時間には大差はないのかもしれない。

一昨日トラブルのあったWWWサーバーは、照会に対する返事は無いが、昨日より再び繋がるようになった。 初日は数時間繋がらなくなる、とか、こういうメンテだった、とか説明がないと今後も不安が消えない。24時間モニターして、ダウンしないシステムだ、などと誇らしげにHPにはあったのだが・・・・



1998年7月7日 火曜日

夢は何語で?

何語で夢をみるか、という話を昨晩ネットで少しした。 私の場合、日本語か英語の場合が殆どだ。また、その言葉は、音声の場合と文字の場合とある。文字の夢を見るようになったのは、ICQするようになってからだ。 文字の夢は、映像の夢と比較して静寂な世界のことが多い。文字の場合、サウンドは全く無いのか、それとも、タイプの音がしているのかは意識したことが無い。 映像と文字は、脳内では右脳と左脳と分担が違うというが、夢の場合も同様な分担なのだろうか。何人かの人に聞いたが、文字の夢をみるという人にはまだ出会ってない。

今日は七夕。夢にでてくるなら画像が良いな。



1998年7月6日 月曜日

CGIで遊ぶ

CGIが置けて信頼が出来て軽いWeb ホスティングがなかなか無い。CGIが置けるサーバーは比較的少なく、あっても、異常に重かったりすると無意味だ。 今日、新たな場所をゲット、早速、HTMLとCGIを幾つか置いてテスト。速いし、結構良いと思っていたのも束の間。 数時間後には、まったく繋がらなくなり、FTPさえ出来なくなった。重いのも嫌だが、繋がらなくなるのは、論外だ。状況説明と照会を送信。

夜、「Nightmare Before Christmas」を観賞。ティム・バートン監督のモデル・アニメーション。 ハロウィーンのオールスターたちが、クリスマスにも手をだしてみるのだが・・・、というお話で、とても楽しい映画だった。映像の美しさは流石。



1998年7月5日 日曜日

魑魅との遭遇

日常生活を営んでいて、まったく予想もしないものとの遭遇というのを時々経験する事がある。 今日のソレは、蒸し暑い午後に起きた。新宿に行く途中の楽器店で、店先に吊りさげられているいろいろなギターを眺めていた。通りに面したところにあるのは、基本的に安価なモデルだ。 その時、「まったく予想もしてないモノ」がわたしの目の端をよぎった。一体何がどうなっているのか、と頭の整理をしながら、ゆっくりと視線をその方向に固定した。 それは、「Komuro Tone」なる名の楽器の広告であった。小型キーボードの様なものの実物大(多分)の写真だ。その後ろに、表現しがたい光景が広がっていた。 その楽器の考案者と見受けられる人の等身大(多分)の姿を切り抜いた看板状のもので、Jポップス界で沢山のヒット曲を生み出している有名なヒトが、なにやら微笑んでいたのだったが、 昼間で良かった、と思った。



1998年7月4日 土曜日

緊急入院

昨晩、テレビを見ながらネットにログ・オンしてて、何故かしら回線が切れてばかりいるなぁ、と思っていた。原因の追求など考えもせずに、都度、ダイアルアップしていたが、それは、 去年の暮れに購入のサブノート、SONY VAIO の断末魔のうめきだったのだ。今朝は、朝からまったく発信音を検知しなくなった。モジュラーケーブルの断線か、と、はかない希望を持ち、電話線を3種類取り替えてみたりもしたけれど、もちろん何の効果もなかった。内蔵モデムが死亡したのだった。 サポートセンターに電話して、モデムの組替え(BIOSからリロード)など試しても、効果なし。明日の午後、迎えが来て入院となります。(SONYは代理店取次ぎが無く、全て自宅ピックアップする仕組み)



1998年7月3日 金曜日

『Night on Earth』 in Tokyo

新宿T百貨店では天然ボケである事が採用条件らしい。東京で起きた「Night on Earth」とは−

地下食品売り場で頼まれものを買い、支払のためクレジットカードを渡した。店員はカードを受け取り、わたしに尋ねる。「お支払は現金ですか?」「・・・??」

その後、ワイシャツ売り場に移動、ここでは滞りなく用事が済み、あとは、グリーティングカードを買えば買物ミッションが終わる。ところが、デパートは殆ど来ないので売り場がどこかわからない。見まわすと、近くに「案内係」と書かれた腕章をした中年男性を発見。何という幸運! 早速「グリーティングカードはどこですか?」と尋ねた。案内係の腕章のおじさんは、おもむろにポケットから使いこなした感じの手帳(店内売り場一覧?)を取り出し「ここは服売場ですので・・・・」と言う。そこが服の売り場だという事は、見れば誰にだって分かる。何しろ、どこを見ても服ばかりなのだから。 案内係は「カードはどんなカードですか」などと言いながら時間稼ぎをする。そこに販売員風の女性が現れ、「カードは文房具売り場ですので9階です」と明快なおこたえ。「案内係」はというと、相変わらず手帳の表紙を見つめていた。
「案内係」って・・・??

ようやく、カード売り場に辿り着く。目的に合うものを一枚みつけ、キャッシャーへ。200円だからタックスを足して210円、と小銭の用意をしてると、「ご自宅用ですか?」と尋ねられた。カード一枚を贈答品にする人がいるのだろうか・・・??

今日の東京地方の最高気温は 36.7℃であった。



1998年7月1日 水曜日

Windows98がWindows95を上回る売れ行き

事前の予想に反し、Windows98がWindows95を上回る売れ行きを見せているそうだ。 Win95の様な革新的製品でも何でも無いWin98なのに、何故そんなに出るのかという理由が、最近の「話題」によるものだ、と分析されている。 つまり、DOJによる独禁法違反の訴訟などにより、Windows98の知名度が上がったからだ、という事だ。
個人的には、当面アップグレードなどの興味はゼロだが、MSの市場独占を提訴したDOJが、販売促進に一役買ったという事柄には興味を覚えた。

夜、ビデオで「もののけ姫」鑑賞。


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